かみかわ陽子のラジオシェイク第9回オンエア〜ホビーのまち静岡

 12月25日(日)オンエアのFM-Hi「かみかわ陽子ラジオシェイク」のトーク内容(全文)です。今年最後の放送です。本年のご清聴、誠にありがとうございました。

 
新年の放送は1月22日(日)8時30分です。来年もどうぞラジオシェイクをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。
 
 


(オープニング/MC高田) 陽子さんおはようございます。
 
(上川)おはようございます。
 
(高田)2011年も今週1週間を残すだけになりました。ラジオシェイクも今年最後の放送になりましたね。
 
(上川)はやいもので、4月に番組がスタートして、あっという間に9カ月が過ぎました。今日は12月25日。メリークリスマス。みなさんはこの2日間、どのようにお過ごしでしょうか。静岡市街地は青葉シンボルロードを中心にイルミネーションが華やかで、多くの人でにぎわっています。私の事務所でもささやかながらリース飾りをしています。今日はそうした静岡の中で、クリスマスにちなんだお話をさせていただきたいと思います。
 
(高田)私自身、この番組で陽子さんを通して、本当に世の中の出来事が自分の身近な出来事とつながっていることを実感できた1年でした。さあ今年最後の放送です。ここからは聞き手のコピーライター鈴木真弓さんにバトンタッチいたします。




(鈴木)おはようございます。ラジオシェイクのヨーコ秘書ことコピーライターの鈴木真弓です。よろしくお願いします。
 ラジオシェイクがスタートした2011年、本当にいろいろなことがありましたが、今日は12月25日のクリスマス、ということで、明るく楽しいエンターテイメントの話題で締めくくりたいと思いますが。
 
(上川)そうですね。今年は本当にいろいろなことがありましたね。今月10日11日には、ツインメッセで「ホビーのまち静岡クリスマスフェスタ」というイベントがありました。真弓さん、静岡市が「ホビーのまち」だということはご存じでしょう?
 
(鈴木)ええ、有名なプラモデルメーカーがありますよね。
 
(上川)子どもの頃、プラモデルで何か作った経験はありますか?
 
(鈴木)プラモデルですか・・・? いやあ私は一応、女子らしくお人形さん遊びをしていましたけど(笑)、そういえば、母校の横内小学校では伝統的に「動くおもちゃコンテスト」というのをやっていて、木工工作はなかば強制的にやらされましたね。男の子はゼンマイで動くミニカーとかロボットなんかを熱心に作っていたような記憶があります。
 
(上川)私は近所の子どもたちと缶けりや鬼ごっこをして遊んでいました。室内ではおはじきや折り紙などをしていましたねえ。
 
(鈴木)昭和の子どもっぽいですね(笑)。
 
(上川)そのとおりです(笑)。
 静岡県は豊かな自然に囲まれた地形を活かし、古くから木材加工がさかんに行われてきました。近所に木工関係の工務店や加工場がたくさんあって、職人のおじさんたちが身近にいた記憶があると思います。それもこれも、その昔、静岡浅間神社や久能山東照宮の造営をきっかけに、多くの優秀な職人が全国各地から集まり、その匠の技が、現在のプラモデルの源流である木製模型につながっていったというわけです。
 
(鈴木)ああ、そうか、ひな人形や家具と同じように徳川家ゆかりの静岡ならではの伝統工芸の職人技術がベースにあるんですね。
 
(上川)静岡の模型の歴史は、戦前の木製模型時代から遡れば半世紀以上の歴史があります。戦前の木製模型飛行機は、航空思想の普及・啓蒙のために学校のカリキュラムにも使われていたそうですが、戦争が終わると販売を禁じられ、各メーカーは木製模型の製造を始めた。これが多くの人気を集めました。
 
(鈴木)木製模型って戦艦大和とか帆船とか、お城のミニチュアモデルみたいなものですね。オトナのホビーって感じの・・・。
 
(上川)高価なものだったそうですね、私の兄なんかも、なかなか手に入らないと言っていました。静岡県では、昭和30年の県内の模型メーカーが結集し「静岡模型教材協同組合」が設立したんです。翌年には現在の静岡ホビーショーの先進となる「第一回生産者見本市」が開催されました。
 
(鈴木)すごいですね、ホビーショーって50年以上の歴史があるんですか。
 
(上川)昭和35年12月15日には日本で国産初のプラモデルが発売されました。木製模型を上回る精密さや簡単に組み立てられるプラモデルは人気を集め、静岡県の木製模型メーカーもプラモデルへの転身を余儀なくされたんです。
テレビの普及とともにキャラクターモデルが次々に発売され、その後も続々と各メーカーから個性豊かな商品が生まれ、子どもたちに夢と驚きを与えました。
 
(鈴木)思いだしました!小さな頃、アメリカの「サンダーバード」が好きで、サンダーバード1号、2号、3号のプラモデルを買ってもらったことがあります。
 
(上川)私の幼い頃はテレビが家庭に1台2台あるかないかという時代でしたが、テレビを通してお茶の間の中にさまざまな文化が入って来て、そのひとつのモデルがプラモデルとして具現化したんですね。
今、ホビーショーに行きますと、親子2代〜3代での来場者が多いんです。いわゆる団塊世代とそのジュニア家庭です。大人も子供も一緒になって楽しんでいるようです。
 
(鈴木)時代がまさに、静岡をプラモデル王国にしたという一面もあるんですね。
 
(上川)昭和30年に始まった「生産者見本市」は「静岡ホビーショー」へと発展し、海外バイヤーも数多く訪れる国際的なイベントとして世界的な注目を集めるようになりました。今現在、静岡は、日本全国のプラモデル出荷額の3/4を占め、世界に誇る模型の首都になったんです。
 
(鈴木)バイヤーのみならず、模型ファンの聖地にもなっているんですよね。
 
(上川)そこが最近の大きな変化です。静岡ホビーショーと同時に開催される「モデラーズクラブ合同作品展」というイベントでは、世界中の模型ファンが自分の作品を持ち寄るんですよ。今では約7,000点のファンオリジナル作品が集まる世界最大級の模型展示会へと発展しているんです。
プラモデルに関心のない方はあまりご存じないかもしれませんが、商品展示会がバイヤーオンリーではなく、ファンも加わって、一大イベントになり、世界的な展示会になっていったわけです。静岡という街のシティセールスの点でも大きな力になっています。
 
(鈴木)それもこれも、模型メーカーが時代の移り変わりの中で技術を伝え、極めてきた長年の努力のたまものですね。
 
(上川)先日、オランダから若手の視察団がいらして、田宮模型をご案内したんです。自動車メーカーとまったく同じ生産ラインや金型技術を見て、本当に感動されていました。各社が50年余、そのような努力を積み重ねてきたことが、今につながっているのだとつくづく思いました。

(鈴木)静岡がホビーのまちだというのは、単にプラモデルメーカーがあるから、という程度の認識しかなかったのですが、今のお話で、50年以上にわたる産地形成の取り組みがあり、今またユーザーを巻き込んだ大きな文化として発展してきたことが分かりました。
 
(上川)12月10・11日にツインメッセ開かれた「ホビーのまち静岡クリスマスフェスタ2011」というイベントでは、模型のみならず、広く「手作り」をキーワードにしたホビーを紹介する、「手作りホビーワールド」というコーナーが人気でした。ビーズやドールハウスやアクセサリー、ネイルアート、パッチワーク、手芸作品等がそろっていたんです。
模型が趣味のお父さんや息子さんと、手芸や好きなお母さんや娘さんが同じ会場で一緒に過ごせるというのがよかったですね。ホビーの定義がグンと広がった印象です。私も実は手芸が大好きで、レース編みなんかよくやるんですよ。こういうイベントに行くと体験ができてとても楽しいんです。レース編みから始まって、今の流行のアクセサリーやネイルアートにまで広がっているんです。
 
(鈴木)あらあ、事前に知っていたら私も行きたかったです。今年は静岡駅南口に「静岡ホビースクエア」という常設展示館もオープンしたんですよね。
 
(上川)ホビーショーやクリスマスフェスタは一過性のイベントですが、静岡が誇る模型の魅力と優れた地場産業をいつでも気軽に知っていただく、そんな情報発信基地としてオープンしました。常設展示の主役となるのは、静岡を代表する模型メーカー各社の製品や、静岡の歴史が詰まった伝統工芸品の数々です。プラモデルのカリスマといわれる田宮俊作会長も時々お出ましになっているそうですので、ぜひ足をお運びいただきたいと思います。
実はちょうど今日25日まで、バンダイとタミヤという人気メーカーが、クリスマスにちなんだ体験イベントを開催中です。11時から始まりますので、この放送の後でも十分間に合いますよ。詳しくは静岡ホビースクエア 電話054−289−3033までお問い合わせください。
 



(鈴木)最後にエンターテイメントの話題をもう一つ。テレビ番組のことで恐縮ですが、今月は日曜夜に『坂の上の雲』が放送されていますね。ちょうど今日25日で3年がかりの放送の最終回を迎えます。陽子さんは司馬遼太郎の愛読者だとうかがっていますが、ドラマはご覧になっていますか?
 
(上川)もちろんです。司馬さんの「坂の上の雲」は、日本人としての大きな人間力、指導者が持つべき資質というものを真正面から描き切ったもので、本当にいろいろ考えさせられます。指導者が持つべき先見性、見識、きちんとした戦略に基づく冷静な行動力は、今の政治にも求められています。とくに、今年のような国難に直面したときに求められるものとしては、環境は違っていても同じだと思うんです。
 
実は、「坂の上の雲」のドラマ化にあたっては、多少のご縁があったんですよ。議員時代、総務委員会に所属していまして、NHKの番組について意見をする機会がありました。「坂の上の雲」のドラマ化について、原作者の司馬遼太郎さんは生前、「自分が意図したものがドラマでうまく伝わるとは限らない、戦争賛美になってはいけないし、映像化は難しい」とおっしゃっていたそうです。奥さまもそのことを強く思っていらして、NHKが再三お願いしてもお断りになっていたそうです。そういういきさつを知っていましたので、NHKには「後世に伝えるべき価値ある作品だから、ぜひ力を入れて取り組んでほしい」と、当時のNHKの海老沢会長に質問し、回答を引き出したという思い出があります。
 
(鈴木)・・・ということは、陽子さんは「坂の上の雲」の映像化の立役者のお1人、ということですか。いやあ、そのことを聞いた後でオンエアを見ると、またひと味違った感動があると思います。
 
(上川)そこまで国会が力を発揮したわけではありませんが、結果的に、NHKが3年がかりで丁寧に作ってくれたことを応援できたという意味ではよかったと思います。
 
(鈴木)2011年は、陽子さんにとっての「坂の上の雲」を目指して走り続けた一年だったのではありませんか?
 
(上川)この年末、後援会の広報誌にこんな一文を寄せました。
 
「政治は常に、身の回りの小さな課題への取り組みから始まる。国が直面する難問も、足場を固め、正面から挑めば、必ず道は拓ける。そうした重責に耐えうる政治家を目指し、努力をつくし、希望を持って前進していこう」。

 日露戦争当時の「坂の上の雲」と、今の時代の「坂」や「雲」は、もちろん違いますが、変わらないのは、「重責にしっかり耐えうる政治家」が求められているということだと思います。震災があった今年、そのことを一層強く認識しました。
 
(鈴木)そんな年に、ラジオシェイクという番組を始めることができたのも、何かのご縁だと思えてきます。新しい年、希望を持って前進できる年にしていきましょう。
 
(上川)「かみかわ陽子のラジオシェイク」を通してご縁をいただいたみなさま、応援くださったすべてのみなさまに、改めて感謝申し上げます。来年こそ、よりよい年になるよう、私たち一人一人がそれぞれの場所で頑張っていきましょう。来年までごきげんよう。よいお年を。
 
 

 

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