かみかわ陽子のラジオシェイク第7回オンエア〜静岡の祭りとからくり時計

コピーライターの鈴木真弓です。

11月5日の「陽子とトーク・おひさまJAZZJAZZコンサート」では、第1部の活動報告会で、ラジオシェイク・サテライトスタジオをお楽しみいただきました。

 

不慣れな舞台で、お聞き苦しい点も多かったと思いますが、陽子さんの日常の活動を少しでもわかりやすく、親しみやすくお伝えしようと頑張りました。

写真解説や「足久保茶畑温度」「夜桜乱舞」の実演のおかげで、ステージも盛り上がり、1時間あっという間でした。

ご来場のみなさまのご感想など、ぜひお待ちしております!

 

さてご報告が遅くなりました、10月23日オンエアのラジオシェイク第7回の内容です。少し長くなりますが、全内容をご紹介します。

 

 













オープニング/高田梨加
みなさんおはようございます。日曜朝のひととき、いかがお過ごしですか? 陽子さん、おはようございます。
 
(上川)おはようございます。
 
(高田)秋たけなわ、実りの時期を迎え、各地で収穫を祝うお祭りがさかんに行われていますね。お祭り好きの陽子さんも、じっとしていられないんじゃないですか?
 
(上川)そうなんですねえ。先々週は大川の諸子沢秋祭りのお神楽を楽しんできました。実は、諸子沢のお祭りは、私が2000年に初当選する前、必勝祈願にうかがった思い出深いお祭りなんです。それ以来、大川地区のみなさんとはおつきあいが深まりまして、毎年欠かさず温かく迎えてくださいます。
10月29〜30日には街中で静岡みこし祭りがありますが、これは市内各地域で大切に受け継がれてきたみこしの伝統を結集させた、みこしオールスター祭りなんですよ。都市部で自分が住んでいる町やご近所の町に、おみこしがあることを初めて知る人も多いと思います。今日は、地元におまつりやおみこしの伝統が残っていることの意味や価値について、お話ししたいと思います。
 
(高田)静岡という町を知る意味でも、お祭りって大切なものですね。ではここからは聞き手のコピーライター鈴木真弓さんにバトンタッチいたします。 

 
 

(上川)改めまして、ラジオシェイク、今日も30分、よろしくおつきあいください。
 
(鈴木)おはようございます。ラジオシェイクのヨーコ秘書ことコピーライターの鈴木真弓です。お祭りのお話に入る前に、陽子さんも非常に心配されていた、9月末の台風15号の被害について触れておきたいと思います。
 
(上川)台風15号は浜松に上陸した後、静岡県内を直撃し、想像以上にここ静岡市内でも大きな被害がありました。私も直後に地域を回らせていただきましたが、がけ崩れや河川の氾濫、停電、鉄道の運休等で市民生活に多くの影響がありました。被害を受けられたみなさまには、心からお見舞い申し上げます。
 
(鈴木)東日本大震災の後ということで、防災に対する意識が高まっていたとはいえ、自然災害の恐ろしさを改めて実感しましたよね。
 
(上川)ええ。私もこれまで政治家として中山間地の対策に取り組んでまいりました。中山間地のがけ崩れや、倒木が流出して川の流れをせき止めてしまった現場を視察しましてね。コンクリートから人へというメッセージがありますが、命を守るという意味ではコンクリートの価値も見直さざるを得ないと思いました。
川の流れがおかしくなると、住宅地に水があふれ出るばかりか、海にも影響があるんです。今回も沿岸部・用宗のシラス漁に影響があったと聞きました。山をやられると川がやられ、それが都市部や沿岸部にも被害をもたらす。本当に環境というのはつながっていて循環しているんだなと実感しました。
静岡市は山間地が広く、平地は沿岸に広がっていますから、山間地における台風・集中豪雨対策と、沿岸部における大地震・大津波対策の両面が、待ったなしで迫られていると思います。
 
(鈴木)陽子さんのご実家は沿岸部にあって、側には里山もあり、今回の台風では停電被害もあったそうですが・・・。
 
(上川)個人の話で恐縮ですが、私は大谷というところに住んでいまして、静岡大学のある有度山のすぐ近くなんです。昼間2時ごろ停電しまして、復旧したのが夜半。ロウソクを灯して、夕食をつくり、囲んで家族で食事をしました。日常、いかに電気に依存した暮らしに慣れていたか、停電になってみて初めてわかりましたね。長期にわたり、電気を失った東日本の被災地のみなさまのお辛さを、ささやかながら疑似体験できたような気がします。
 台風が過ぎ去った後、道路のあちこちで街路樹が倒れたり、枝葉が散乱していましたね。あれを地域の人々が誰に音頭をとられるわけでもなく、率先して片付けや清掃をされていた姿にも、心動かされました。以前より、地域コミュニティの力が高まったんじゃないかと思いますね。
 
音楽♪ ゴスペラーズ「ブリッジ」
 
(鈴木)実は私、現在、富士山について定期的に取材をしているんですが、浅間神社の総本宮である富士宮本宮浅間大社は、その昔、活火山である富士山が再三爆発し、人々を苦しめたことから、山の神の怒りを鎮めようとお祭りしたのが起源だと知りました。アサマというのは南方系の言語で「火山」を意味するそうです。静岡にも浅間神社がありますね。あらためて、日本人は長い間、神社やお祭りを通して災害と向き合っていたんだと思いました。
 
(上川)今年は東日本大震災の影響で、各地のお祭りや花火大会が中止・延期になり、とても残念に思っていました。静岡市でも夏の安倍川の花火大会がいったん中止と決まりましたが、みなさんの声で規模を縮小して開催しましたね。
そもそも安倍川の花火大会は、昭和20年の静岡空襲で亡くなった方の鎮魂のために始まったものです。静岡の市街地はその5年前の、昭和15年の静岡大火でも、大変な犠牲がありました。街の通りを炎が走り抜けるぐらいの大火災だったという話を聞きました。貴重な歴史を伝える古い町並みや文化財が焼失してしまいましたね。
 
(鈴木)本来ならば、静岡市というのは日本を代表する歴史ある城下町として評価されていたはずですよね・・・。
 
(上川)5年間で2度の壊滅的な被災を受けたにもかかわらず、街中の小櫛神社やいかづち神社など、かろうじて守られたお社もあります。鎮守の森が火事の延焼を防いでくれたからなんですね。
 真弓さん、覚えていますか? 4月に福島のいわき市を視察したとき、大津波によって壊滅的な被害を受けた海側の住宅地に、神社の鳥居とほこらだけがしっかり建っていたでしょう。わずか通り1本隔てた住宅地には、庭の松の木1本も倒れず無事だった家もありましたよね。
 緑というのは緩衝地帯という意味があり、災害を防ぐ意味では、緑地帯をつくる・道幅を広げるというのが防災都市計画の基本中の基本です。昔の人は神社の境内を街中に置いて、災害を防いでいたのですね。
 
(鈴木)なるほど、街中でお祭りができて、通りで「そいやさ、そいやさ」とみこしが担げて、みんなで踊りが踊れるまちって、実は防災上の観点からも安全・安心な町なんですね。みこし祭りも、そんな視点で参加しようと思います。
 
(上川)実は私、みこし祭りには格別の思いがあるんです。昨年のみこし祭りで、祭りの関係者が青葉シンボルロードに集まったとき、ふと、「静岡の街中にシンボル時計がないなあ」と気づいたのです。遠くからでも時計が見えれば、お祭りを進行する上で目安になるし、待ち合わせや集合場所としても便利ですよね。そんな話を仲間としているうちに、「静岡にからくり時計を作ろう」と声が上がりました。
 
(鈴木)「からくり時計」って、駅前や公園にあって、定時になると人形が動いたり音楽を奏でたりする町のサインみたいなものですね。
 
(上川)そのとおり。私たちは「静岡の音」にこだわり、音についてあれこれ調べていたところ、郷土の歴史に詳しい黒澤脩先生から、久能山東照宮に徳川家康公がスペイン国王から送られた日本最古の洋時計があり、400年前のその時計が、今でもちゃんと音を鳴らすという話をうかがいました。
 そんなに凄いお宝があるなら、ちゃんと調べて、出来るものならその音を静岡の街中で鳴らしたいね!と、盛り上がりましてね。400年前の時計の音が聴けるって大変価値のあるじゃないですか。
 黒澤先生や、東照宮の落合宮司にもご協力をいただいて、さっそく『駿府静岡からくり時計実現会議』という組織を立ち上げました。私が幹事役を務めさせていただいています。
 
(鈴木)「実現会議」って陽子さんお得意の組織づくりですね(笑)。どんな活動をされているのですか?
 
(上川)昨年のみこし祭りが終わってすぐに準備会を立ち上げ、黒沢さんを講師に4回ほど内々の勉強会を開きました。そして今年6月10日、時の記念日に、正式に実現会議を発足し、HPを立ち上げました。7月の第1回勉強会では落合宮司に、まず、その家康公の洋時計について解説していただきました。
 
(鈴木)一般の人も参加できる勉強会でしたね。私も参加させていただきました。
 
(上川)今からちょうど400年前の1610年に、スペインの船が遭難して千葉の御宿海岸に流れ着き、住民が献身的に介抱したんですね。家康は三浦按針の帆船で乗組員をスペイン領のメキシコアカプルコまで送り届けたそうです。そのお礼に、スペイン国王から王室御用達の時計職人が作った、当時の最先端の洋時計を送られたというわけです。
 
(鈴木)家康公がそんな国際親善をされていたなんて、初めて知りましたよ。
 
(上川)家康はその時計をとても気に入って、亡くなるまで手元に置いて、駿府城に大名お抱えの職人たちを招いて見せたりしたそうです。日本のからくり歯車の技術は、これがきっかけで発達したのではと言われているんですよ。同じ時計は現在、スペイン王室にも残っているそうですが、音は鳴らないんですって。音が鳴る機械仕掛けの洋時計は、家康公の洋時計が最古だというのです。
 
(鈴木)素晴らしい、まさに世界遺産級のお宝ですね。
 
(上川)部品そのものがオリジナルなので、音も400年前のオリジナルなんです。
 
(鈴木)家康公が聴いたその音を、我々も聴けるということですか?
 
(上川)そうなんです。落合宮司も、この洋時計も世界遺産にしたいと熱く語っておられました。
第2回勉強会では、安心堂の時計技師である金子厚生さんが、幕末に長崎でゼンマイ時計を発明した田中久重について紹介してくださいました。和時計と洋時計を同時に動かせるものすごい高度なからくり時計で、愛知万博のときに再現・展示され、実物は現在、東京国立科学博物館にあります。田中久重はのちに東芝の創業者として日本の技術史に名を残しました。
第3回は西草深にある「からくり人形博物館」の植山利彦館長に、からくり人形の魅力について語っていただきました。大変魅力的なからくり人形をたくさん紹介していただきました。
 
(鈴木)とても興味深い勉強会ですね。 
 
(上川)ぜひ多くの静岡市民の方に参加していただきたいと思います。日本のモノづくりの技と精神が、家康公の国際支援をきっかけに花開いたと思うと、我々静岡市民は、本当に、地元の歴史や文化をしっかりと見つめ直し、その功績を、これからのまちづくりや人づくりに活かしていかねば、と実感しますね。からくり時計を作るというのは、作ることが目的ではなく、それを通して新しい地域のビジョンを描いて行くということなんです。多くの皆さんのご参加をお待ちしています。

 
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