かみかわ陽子のラジオシェイク第18回オンエア(2)アフタヌーンティーは緑茶だった!?

 6月19日(火)18時30分〜19時、FM−Hiでオンエアの内容、つづきです。

 

 

 

 

(鈴木)ところで陽子さんご自身は、イギリスとどんなご縁があるんですか?


 

 

(上川)イギリスと聞くと、真っ先に思い出すのが、東京の家の近くに住んでいたイギリス人ファミリーですね。ご主人はブリティッシュ・カウンシルにお勤めで、奥さまのレスリーさんは大学で英語を教えておられました。


 

 

(鈴木)ブリティッシュ・カウンシルって語学学校でしたっけ?名前は聞いたことがありますが・・・。


 

 

(上川)ブリティッシュ・カウンシルは、英国の公的な国際文化交流機関です。非営利団体ですね。語学教育で知られていますが、社会や文化など広い分野でイギリスと世界の信頼関係を築くためのさまざまな活動をしているんです。


 

 

(鈴木)そのご近所のイギリス人とはいろいろ交流があったのですか?


 

 

(上川)私たちと同世代で、それぞれ子どもも2〜3歳のころで、よくお茶に呼ばれたりしました。イギリスの子育てに触れる機会にもなりました。

 あるとき、母親であるレスリーさんが子供をしかる場面に出くわしました。子どもが、親の了承を得ないで、モノと勝手に取ろうとしたのです。その時、彼女は「モノが欲しい時はとってくださいといって、最後にプリーズという言葉を使うように」と教えていました。子どもの方は、プリーズの一言がいえずに抵抗したんですが、彼女は、子どもがプリーズを使うまで、辛抱強く待っていました。子どもの口からは、なかなかプリーズという言葉が出てきませんでしたが、最後に降参して、「プリーズ」と表現しました。


イギリスの家庭で、親が子どもに教える一番最初の言葉は、実は「サンキュー」ではないんです。人に何かを頼むときに使う「お願いします」?つまり、「プリーズ」だったのですね。社会生活の一丁目一番地が、自分が他人に何かをしてもらう時に必ず「お願いします」をいって、その呼吸の中で礼儀を教える、という大変印象的な場面でした。


 

 

(鈴木)・・・それは大変興味深いお話ですねえ。イギリスといえば紅茶の国です。中国アッサム地方で生まれたお茶が、イギリスではアフタヌーンティー、日本では茶の湯というふうに、地球の東西の小さな島国で、それぞれ独自のお茶文化として発達したことがユニークだなあとつねづね思っているんです。


 

 

(上川)確かに面白いですね。私もそのレスリーさんのお宅で時々お茶に呼んでいただいたり、私のほうも招いたりして、よくお茶談議をしました。

 イギリスにお茶が入って来たのは17世紀、東インド会社が中国から輸入したものですが、最初の頃は紅茶ではなく緑茶が主流だったそうです。1771年に、エジンバラで発行された『ブリタニカ』の初版に、商人がお茶を選ぶ基準が記されていました。


 

 

(鈴木)代読してみますね。


 

「茶を扱う商人は、茶の色、香味、葉の大きさの違いによって、おびただしい茶の種類を区別している。普通の緑茶は、葉がやや小さくてシワがあり、よく乾燥して葉が巻き込んだような形をしている。色は薄黒いグリーンで、味はやや渋く、香りは快適である。


 

   良質の緑茶は、葉が大きくてあまりシワがなく、乾燥中に葉がほとんど巻き込まないようにつくられている。色はブルーグリーンに近い薄い色で、実に何とも言えない素晴らしい香りがする。普通の緑茶よりも渋い味がするが、それでもはるかに心地よい味である。


 

一方、ボヘアは?ボヘアというのは紅茶の種類ですが、ボヘアは他のいずれのものよりずっと小さな葉からできている。色は他の種類よりいっそう濃い色をしており、ときには黒味がかっている。同じく香りも味もよいが、味は甘さと渋さが混じり合ったような味である。緑茶はすべてどことなく、すみれの香りがするのに対し、ボヘアのほうはなにかバラの香りがする」。


 

・・・うーん、なんだか目の前にティーカップが浮かんできますねえ。


 

 

(上川)ユニークですねえ、17世紀から18世紀頃のイギリスで、お茶の味がこれほど細かく吟味されていたなんて。緑茶が、普通と良質と分けて解説されていたところをみると、扱い量も相当だったと思います。紅茶が主流になった理由はよくわかりませんが、お茶の葉を発酵させた紅茶は、おそらく大量輸入に適していて、香りや味がイギリス人の口に合ったのかもしれませんね。


 

 

(鈴木)そもそもなぜイギリスでこんなにお茶が飲まれるようになったんでしょうね。フランスやドイツではそれほどでもないと思うんですが・・・。


 

 

(上川)お茶と同じころ、ヨーロッパにはチョコレートとコーヒーも入ってきましたが、お茶は東アジアでひとつの文化として確立されていました。お茶だけでなく、陶磁器や絹織物や紙や印刷技術といった生活文化は、東アジアのほうが数段に発達していました。ヨーロッパ人、とりわけ西の端っこに住むイギリス人は、オランダ人やポルトガル人が伝える東洋文化に憧れとコンプレックスを抱いたんでしょう。


 

 

(鈴木)日本では、千利休が茶室という密室空間を作って、一つの茶わんを回し飲みするという、戦乱の世とは思えない高度な精神文化を確立させ、武士に浸透させたんですものね。


 

 

(上川)1662年に、チャールズ2世に嫁いだポルトガル王の娘キャサリンが、イギリスに東洋のお茶文化を紹介したのがきっかけだといわれています。その次のジェームズ2世は、保守的で専制主義が行き過ぎて名誉革命で倒れ、娘のメアリが王位を継いでメアリ2世となりました。彼女も、その後を継いだ妹のアン女王も、東洋趣味の愛好家で、イギリスの貴婦人の間でお茶をたしなむことが最先端ファッションになったんです。


 

 

(鈴木)お茶文化の担い手は女性だったんですね。


 

 

(上川)コーヒーはどちらかというと男性が外で飲むもので、ヨーロッパのコーヒーハウスは貴族や貿易商人たちが情報交換をする、いわば社交クラブのような存在でした。その間、家にいる女性たちの間で、アフタヌーンティーを楽しむ習慣が出来上がったのでしょう。

 今や世界のお茶の約80%が紅茶で、消費の大半はイギリスです。お茶の歴史における、イギリスの歴代女王の功績は大きいといえますね。


 

 

(鈴木)こういうお話を伺うと、静岡でも女たちが頑張ってお茶の文化を育てなければ、と思いますね。


 

 

(上川)先ほどのブリタニカの記述ではありませんが、静岡のお茶も産地によってそれぞれ特徴ある味や香りがあり、きめ細かく分類してアフタヌーンティーやイブニングティーとして楽しめるような仕掛けが出来たらと思います。


昨年の3・11の影響で、静岡茶への風評被害がなかなか払しょくされず、産地は苦労されています。私も、女性の立場で出来ることを一生懸命考え、行動していきたいと思っています。


 


 
          ♪


 


 

(鈴木)陽子さん、6月9〜10日にシズオカKAGUメッセに行かれたそうですが、いかがでしたか?


 

 
(上川)会場はツインメッセ北館だけだったんですが、印象的だったのは常葉大学と武蔵工業大学の学生さんたちがデザインしたオリジナル家具など、若い担い手の活躍でした。作りつけの家具が普及している中、手作りの家具は苦戦しているようですが、職人やデザイナーの手作り家具を1点1点揃えていくことが心豊かな暮らしにつながる・・・そんな世の中になるといいなあと思いましたね。


 

 
(鈴木)さあ、ロンドンオリンピックは7月27日に開幕します。楽しみですね。


 

 

(上川)サッカーの予選からスタートしますね。個人的には、なでしこJAPANの活躍がふたたび見られると思うとワクワクします。日本選手団の健闘を心からお祈りします。


 

 

(鈴木)いずれにしても、7月27日から8月12日までの開催期間、眠れない日が続きそうです。


 

 

(上川)そろそろお時間になりました。最後までおつきあいくださったリスナーのみなさま、本当にありがとうございました。それでは、来月までごきげんよう。


 

 

*次回は7月3日放送予定です。

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