巳年に考える「エターナルナウ」

 

かみかわ陽子ラジオシェイク第30回 巳年に考える「エターナル・ナウ」


 


お待たせして申し訳ありませんでした。かみかわ陽子ラジオシェイク2013年1月放送分のご紹介です。まずは元日放送分からどうぞ。


 

 


 

  
(高田)陽子さん、あけましておめでとうございます。


 

 

 

(上川)あけましておめでとうございます。上川陽子です。


 

   

 

(高田)さあ2013年がスタートしました。今年最初の放送が元日というのは、なにやら縁起がよさそうですね。


 

 
   
(上川)そうですね。昨年末に選挙があってひと月以上ご無沙汰しておりましたので、年明け初日にこうしてリスナーのみなさまに私の声をお届けできるなんて、幸先のよい一年です。2013年、どうぞ今年もよろしくお願いいたします。


 

 

 

   
(高田)今年は巳年。陽子さんも実は巳年のお生まれということで、年女なんですね。


 

 


  

(上川)年齢がバレバレですね(笑)。そうなんです、3月1日が誕生日で、“大台”に乗ってしまうんです。選挙のときはまだ50代だったのが救いといえば救いでした(笑)。巳年生まれの皆さん、今年1年がんばりましょう!


 

 


  

(高田)確かに。報道では必ず年齢が出てしまいますからね(笑)。年女の陽子さんにとって、2013年はいろいろな意味で、新たな、大きな飛躍の年になるのでは、と期待しております。さあここからは聞き手のコピーライター鈴木真弓さんにバトンタッチしましょう。


 

 


 

          


 

           


 

(上川)改めまして、リスナーのみなさん、あけましておめでとうございます。上川陽子です。


 

 


 

 


(鈴木)あけましておめでとうございます、コピーライターの鈴木真弓です。本年もよろしくお願いいたします。陽子さん、年女なんですねえ。


 

 


 

(上川)今年は十干十二支でいえば「癸(みずのと)」がヘビの上にきているという年回りだそうですよ。中国の暦は60年周期ですから、ちょうど私が生まれた1953年と同じ年回り。1953年に何があったかといえば、朝鮮戦争が終わり、エリザベス女王二世が王位に就き、スターリンが脳卒中を患い死亡しました。この時期は冷戦の時代でも大きな武力衝突のなかった時代でしたが、ソ連とアメリカの対立は続き、両者陣営は核兵器開発にまい進していた。癸の年は一見すると平和的にも見えますが、水面下では緊張と対立があるという年のようです。


 

 


 

(鈴木)なにやら今と通じるものがありそうですね。


 

 


 

(上川)一方で1953年はたくさんのアイディアや発明があったんですよ。プレイボーイの雑誌の創刊号が市場に出て、はじめてのジェームス・ボンド小説−カジノロワイヤルが出版され、そして、ディズニーの主要映画、ピーターパンが1953年2月に封切られたんです。はじめてのカラーテレビが12月にアメリカで販売され、そして、アカデミー賞がテレビではじめて放送された年でもありました。


 

 


 

(鈴木)エンターテイメントの世界では大きな飛躍の年だったんですね!


 

(上川)科学では、DNAの構造が発見された年でもあるんですよ。そもそも癸という漢字は、朝露と胎(胚)を表しています。発芽を待つ、という意味なんです。


 

 


 

(鈴木)陽子さんがつねづね、“政策の種まきをして大輪の花を咲かせたい”とおっしゃっていたのは、生まれ持っての行動だったんですね。


 

 


 

(上川)同じ巳年でも1941年には真珠湾攻撃があり、1989年にはベルリンの壁やソ連の崩壊、2001年には9・11のテロがありました。なにやらキナ臭い出来事が起こるかもしれない、マグマがグツグツとたまるような年なのかもしれません。油断はできません。


 

 


 

(鈴木)陽子さんは選挙中、内政40年、外交100年というスパンで政策に取り組むとおっしゃっていましたね。そういう時間軸をとらえたモノの見方って大事だなあと思い、最近では歴史年表を持ち歩くようになったんです。巳年をさらにさかのぼって見ると、1857年はハリスと江戸幕府が下田条約を結びました。さらに12年前の1845年に、イギリス船が初めて琉球、長崎へとやってきました。日本が世界と初めてまともに対峙した年なんですね。


 

 


 

(上川)そのちょうど100年後の1945年に日本は太平洋戦争に敗れたというわけです。今の日本人にとってとても重要な、19世紀から20世紀、21世紀にかけての近現代史を、残念ながら学校ではちゃんと教えてくれません。今の政治や暮らしは前の世代の人々の行動や選択の結果であり、さらにその前の世代、その前、前、というように、過去の積み重ねが今を作っているのです。過去の人々がなぜそのような選択をしたのか、日本人がなぜそういう行動をとったのか、そこにはしかるべき理由があったはずですね。そして今の私たちの行動や選択が、次の世代の社会を作るのです。国家を担う政治家にはそういう視点が大切ではないか、という思いで、「内政40年外交100年」というキーワードを発信しました。後半はさらに詳しくお話しましょう。


 

 


 

 


 

           ♪ 


 

           


 

 


 

(上川)昨年末の選挙戦で「内政40年外交100年」ということをお話したとき、よく意味を聞かれたんです。ある企業の朝礼にうかがったときも社長さんから直々に聞かれ、社員の皆さんにご説明し、得心していただきました。


 

 


 

(鈴木)企業の場合は30年がひとつの寿命といわれます。内政40年というのは新鮮な数字じゃないでしょうか。


 

 


 

(上川)さきほど巳年の出来事を100年スパンの外交の動きを説明してくれましたが、日本は、明治維新から約40年後に日露戦争に突入しました。この40年間は、司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』でも描かれたとおり、「まことに小さき国が列国に立ち向かう」ため、猛烈な勢いで西洋文明を取り入れ、富国強兵に突っ走った時代です。そして日露戦争から太平洋戦争までが、やはり約40年。戦後の高度経済成長からバブル崩壊までがやはり40年。バブル崩壊から今は20年ぐらい経ったでしょう。あと20年ぐらいは厳しい時代が続くと思いますが、同時に大きな時代の節目を迎える準備期間かもしれません。


 

 


 

(鈴木)なるほど。ということは、あと20年ぐらいで社会が大きく変わる、今はその予兆があちこちにあって、気がついた人はしっかり準備をしている、ということですか。


 

 


 

(上川) 私は、3年4ヶ月の浪人期間中、ここ地元静岡で、大なり小なりその予兆をしっかり感じ取ることができました。これを国政に活かしていくことが自分の役割だと思っています。


 

 


 

(鈴木)私も歴史が好きなので、時代を俯瞰で見ることのできる陽子さんのお話はいちいち納得できます。


 

 


 

(上川)もともと今川〜徳川から400年続く城下町で暮らす静岡市民のみなさんには、こういうお話がわりとすんなり受け入れられるようです。とくに今回、選挙の遊説で市内をくまなく回らせていただき、新たに発見することも多々ありました。


 

 


 

(鈴木)たとえば?


 

 


 

(上川)竜爪山の南の麓の平山という地区に、太平山三枝庵というお寺があるんですが、かつては竜爪寺という名で、駿府城の鬼門の方角にあたることから祈祷所として設けられたそうです。駿府城下町の都市設計では安倍川の治水が重要な課題で、薩摩土手の工事の際は、ここで安全祈願を行ったんですね。


 

ご存知の通り、安倍川は大雨のたびに大洪水をひきおこし、駿府の町は水浸しになりました。大御所家康公は1607年、安倍川の流れを変え藁科川と合流させる大規模公共工事を、薩摩藩の島津忠恒に命じ、今の井宮神社(妙見さん)から中野新田まで約4kmの土手を築きました。土手は今、井宮町と水道町に残るだけで、田町付近はさつま通りという道路になってしましたが、この大変な治水工事のおかげで駿府城下町は繁栄し、巡り巡って今の私たちも美味しい水を安全に飲める、というわけです。


 

 


 

(鈴木)今の公共事業、とくに都市インフラは40年〜50年が寿命ですね。東京オリンピックの頃に作られた道路やトンネルが改修を余儀なくされています。昨年末には高速道路のトンネルの天井が走行中の車の上に落下するという信じられない事故もありました。


 

 


 

(上川)公共インフラも、年金のような社会の仕組みも、人間の体と同じように定期的な健康診断が必要なんです。今あるものを安全に維持補修するには、やはり相応の予算手当ても必要になります。それが国土を強靭化させる、ということなんですね。公共事業に予算をかけると、何かと批判を受けがちですが、私たちの安心安全のための最も重要なインフラを守る防災予算の一環と考えたらどうでしょう。危険な道路やトンネルを放置して、事故や災害が起きてしまったら、その後の復旧予算は甚大です。それに比べれば、つねに定期点検し、維持補修をしておくほうが、はるかにコスト安で、みなさんも安心安全に使っていただけるのです。


 

私は、400年の歴史を持つ城下町静岡から選出された国会議員として、政策のひとつひとつを、今の時代、そして次の時代の人々の暮らしにしっかり活かきるという視点を大切にしていきたい、そんなふうに思います。


 

 


 

           


 

 


 

(上川)私が政治家を志した頃だったと思うんですが、今は亡き大平正芳首相が「エターナルナウ(Eternal Now)」という言葉をおっしゃっていたんです。それがすごく印象的でした。


 

 


 

(鈴木)素敵な言葉ですね、どういう意味でお使いになったんでしょうか?


 

 


 

(上川)直訳すれば“永遠の今”という意味ですね。大平元首相は敬虔なクリスチャンでした。机の引き出しの中には「今というときは現在しかない、精一杯生きよう」などとメモがいつもあったそうです。


 

もともとエターナルナウとは神学者のポール・ティーリッヒの言葉で、

『 すべてのことは「今」という時によって作られていく。
過去の歴史も「今」という時間の連続の中で積み重ねられていて、
未来は「今」という時が連続して作り上げられていく。』


 

 


 

という意味なんです。


 

 


 

 


 

(鈴木)太平さんというと、「あー」「うー」と物まねされることで印象的ですが、大変な知性派で文人宰相とも言われていた方ですね。


 

 


 

 


 

(上川)太平さんは、エターナルナウという言葉を説明するとき、「現在は、未来と過去の緊張したバランスの中にあるべきで、このように努めていくのが健全な保守というものではないか」とおっしゃったそうです。政治を志すものとして、重く、深い言葉だなあと実感し、自分自身の政治活動においても「今」は永遠の中にあるものと自覚し、大事にしていきたいと思っています。


 

 


 

 


 

(鈴木)新年の初日にあたり、素晴らしいお言葉をいただきました。国会に復帰した陽子さんの本領発揮を心からご期待申し上げます。


 

 


 

 


 

(上川)ご期待に添えるよう精一杯がんばります。さあそろそろお時間になりました。最後までおつきあいくださったリスナーのみなさま、本当にありがとうございました。それでは、次回までごきげんよう。


 

 


 

 


 

 


 

 


 

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