第33回「国会議員が地域で果たす役割」

 

かみかわ陽子 ラジオシェイク 第33回 「国会議員が地域で果たす役割」

           

(上川)リスナーのみなさん、こんばんは。上川陽子です。

(鈴木)コピーライターの鈴木真弓です。よろしくお願いいたします。国会の論戦が本格的になって、国会対策委員会副委員長の陽子さんも、国会議事堂の中を走り回っているのではありませんか?

(上川)本当に体力勝負といいますか、毎日走り回っています(笑)。静岡で浪人していた3年4ヶ月、毎朝ラジオ体操をして体力づくりに努めていたことが功を奏しました。以前、ラジオシェイクで麻生元総理、今は副総理兼財務大臣ですね、麻生さんが国会期間中も毎朝ジョギングを欠かさなかったというお話をしたと思いますが、今も続けてらっしゃるようで、先輩方には、せめて体力だけでも負けるもんか、という思いで健康に留意する毎日です。

(鈴木)元気といえば、1月末に静岡の小学生たちが国会見学にやってきましたね。陽子さんが国会に復帰され、初めて静岡からお迎えしたゲストだとうかがいました。

(上川)そうなんです。1月31日、国会が開会して直後でしたが、静岡市立足久保小学校、2月8日には葵小学校の子どもたちを国会見学にご招待しました。偶然なんですけど、最初のお客様が静岡の小学生たちって、なんだか楽しいでしょう? 国会議事堂に初めて足を踏み入れた子どもたちの興味津々の眼がとても印象的でした。自分も初当選のとき、こんな眼をしていたなあ、初心を忘れてはいけないなあとしみじみ思いました。

鈴木)その子どもたちの中から、将来、政治家を目指す!というツワモノが育ってくれるといいですね。「上川陽子代議士に国会を案内してもらったのが政治家を目指すきっかけでした」なんてインタビューに答える議員が出てきたら感動しちゃいます。

(上川)代議士という仕事は、自分のイメージになかったのですが、最初に出会った国会議員が赤城宗徳さんという日米安全保障条約の立役者になった方です。私は大学の卒論で日米安保について取り上げたので、ゼミの指導教官の先生の紹介で、赤城代議士にインタビューすることになったのです。初めて代議士と面談し、立派なご見識や、ご自分が立候補して政治家になるときのこと、その後の政治経歴をうかがったのが印象に残っているんです。自分が決断するときにも、そのときの赤城代議士の姿勢がいつも脳裏にありました。今、いみじくも真弓さんがおっしゃってくださいましたが、子どもたちと短い接点の中で、あのとき、上川陽子という人間に出会って、私が赤城代議士と出会ったときのように感じてもらえたら素晴らしいなあと思います。

 

(鈴木)それだけに、政治家としての姿勢をしっかり見せていかなければなりませんね。地元静岡にいられる時間が減ってしまったのは仕方ないとして、今は地元の皆さんとどんなふうにつながっていこうと思われますか?

(上川)そうですね。今年のお正月に静岡市内を挨拶回りしたときも実感しましたが、みなさんが口にされるのは、やはり景気の問題、若い人の雇用の問題でした。後戻りや失敗は許されない、今度失敗したら、本当に日本は危ない、という危機感と責任感をひしひしと感じました。静岡の有権者の皆さんの表情や言葉には、景気見通しへの明るさや自民党の政策実行力への期待感も感じられましたが、それは、今度こそ与党としてしっかり結果を出してくれ、という強い要望に他ならないんですね。

私としてはとにかく、国会は今、こんなふうに動いている、自民党はこういう考えて進めているということを、静岡の有権者にていねいに、きめ細かく伝え、ご理解をいただく努力をしようと、まずは考えています。国は国で勝手に動いている、と思ってもらいたくないんですね。地域の有権者の声が国を動かすんだということを、実感を持って感じていただきたいのです。

(鈴木)国の予算が審議されるとき、よく地方から国会議員の下へ陳情にうかがう、なんて場面をニュースで見ます。国と地方の関係って、そんなかたちでしか表に出てこないのかなあと。

(上川)それではいけないと思いますね。実は1月のことですが、国道1号線静清バイパスの羽鳥インターから牧ヶ谷インターの間にかかる藁科川橋の4車線化工事が完成しました。車輌を通す前に、歩いて渡ってみるという渡り初めのイベントが1月20日の10時から開催されたのですが、事前に地元藁科地区の自治会の皆さん方に、そういうイベントがあるというアナウンスが浸透しきっていなかったようで、当日になってニュースで知ったという住民もいたそうです。

(鈴木)それは残念ですね、いくら国の工事とはいえ、自分の住む町の町内を通る道路でしょう。

(上川)実際には地域にとって重要な幹線道路であり、どんな道路に生まれ変わったのか、地元住民が優先的に早く知る権利があるはずですが、国の事業だという理由で、情報が地元に行き届かなかったというのは問題だなと思いました。陳情活動やそれに至る過程も、地域の方々によく理解していただくということを、これまで以上に丁寧にやっていかなければならないと思うんです。道路が出来る前も、出来上がった前も、税金で作られるものですから、プロセスを大事に説明しなければなりません。それが政治の役割ではないかなと思います。

(鈴木)陽子さんにも、国と地域のパイプ役という使命がありそうです。たかが国道の渡り初めイベントといっても、考えされられることが大きいですね。

(上川)国と地域のパイプづくりが作りやすい、こういう事例から、しくみを変える実験を積み重ねていくことが大事じゃないでしょうか。私は国会議員として、国の情報を、静岡一区の有権者の皆さんの下へ、どんどん積極的に運んでいこうと思っています。国がやろうとしていることが、地域の課題と直結しているという実感を持っていただきたいんですね。

(鈴木)地方分権という言葉が強く聞かれますが、国のやることに地方は従え、地方のやることに国は干渉するな、なんて対立関係ではなく、ひとつの課題を、国の立場、地方の立場、大所高所さまざまな方向から考え、一緒に答えを導いていく・・・そんなしくみが理想なのかな、と思います。

(上川)そのことに尽きると思うんですが、それを実現するためにもさまざまな制度が必要で、これまでの中央集権的な制度をどう改革していくか、地方分権の中で、地方が主体的に考え、同時に世界の視点も持って進めて行くということが大事です。私は政令市になったことで、ここ静岡で挑戦するしくみづくりや改革が、国政を変えていく先鞭となるよう、努力したいと考えています。そのための知恵づくり、人脈づくりに、静岡版政治大学院という組織を活かしたいと思います。

 

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(鈴木)さて、実は昨年末、ラジオシェイクで予定していたものの、選挙期間中に入ってしまって放送できなかったテーマがありました。地域のことを考える上でとても大切ですので、改めてお話したいと思います。

冬のこの時期、火事のニュースに接する機会が多くて、本当に心を痛めます。少しでも火災による被害を防ごうと、各地で防火を呼びかけるキャンペーンが行われていますね。

 

(上川)火事ばかりは、いつ、どこで起きるかわかりませんものね。自分が注意していても隣近所で起きたら大変です。真弓さんは静岡市の三番町に『少年少女防火クラブ』という組織があるのをご存知ですか?

 

(鈴木)いえ、初めて聞きます。子どもたちの防火活動グループですか?

 

(上川)少年消防クラブというのは、地域や家庭の中で子どもたちの防火意識を高めようと消防庁が全国に呼びかけた組織です。昨年のデータですが、全国に4,913団体・約43万人がクラブ員として活動しています。

 

(鈴木)へえ、知らなかった。

 

(上川)静岡では戦前の昭和15年に静岡大火がありました。市内中心部で起こった大火災ですが、火事の発端は静岡市立番町小学校のあたりだったんです。原因は不明ですが、三番町地区のみなさんはこのことを教訓にしようと、地域ぐるみで防災活動に力を入れてきました。旧三番町小学校のPTAから始まった活動で、旧一番町小学校との合併で、今は三番町地区連合町内会の下部組織として活動しています。クラブは小学3〜6年生が対象で、今は150人ぐらい参加しているようです。

 

(鈴木)大きなクラブなんですね。どんな活動をしているんですか?

 

(上川) 夏休みは花火のシーズンですから、みんなで花火をしながら、使い方や後片付けなどを学んでいます。冬休みは15人から30人ぐらいのグループに分かれて火の用心の拍子木を打っているそうです。おそろいのボーイスカウト風のユニフォームがりりしくてかわいいんですよ。

 

また毎年開かれる 「 三番町地区交通安全・防火・防犯大会及びパレード」に参加します。このパレードは地域の皆さん 総出で「 交通安全 ・防火 ・防犯 」の呼びかけを行なうんです。私も来賓として招かれ、犯罪被害者の支援活動についてお話させていただいたことがあります。

 

(鈴木)小学校低学年の頃から防火や防犯について考える機会があるって大変価値ある活動ですね。

 

(上川)静岡市内では唯一の活動だと思います。一時はほかにもあったようですが、継続しているのはここだけのようです。子どもたちにとっては校外活動のひとつに過ぎないかもしれませんが、自分の家族以外の地域の大人たちと一つの課題について一緒に考え、行動するという機会はとても貴重ですね。大人にとっても、地域の中で子どもたちを育てていこうという中、また地域社会のコミュニティが風化しつつある中、こういう活動は、地域社会全体に問題意識を植え付け、つねに考える重要なきっかけになります。東北の震災でも地域の絆が協力の重要性が再認識されました。意識を持ち続けていくこと、これが大事ですね。静岡市内の全校に広がっていければいいなと思っています。

 

 

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(鈴木)地域の中での安心安全、ということでは、地域医療の問題も見逃せません。実はかみかわ陽子後援会の石井洋治会長、静岡市静岡医師会元会長として長年、地域医療の課題に立ち向かってこられた方で、昨年秋の叙勲を受けられましたね。

(上川)そうなんです。わがことのようにうれしかったですね。静岡市静岡医師会は旧静岡市をカバーする約290名の開業医と350名の勤務医によって組織され、静岡市民の医療保健の担い手として活動しています。

もともとは明治13年に出来た「静陵医会」という団体がベースになっていまして、いくたびか組織改変し、昭和22年に社団法人静岡市静岡医師会となりました。大正時代には看護婦養成所を作り、静岡市医師会付属准看護婦学校に発展して、毎年50人ほどの准看護師を育ててきたんですよ。

(鈴木)医師会で看護学校を持っていたなんてすごいですね。

(上川)そうなんです。「看護師」が「看護婦」と呼ばれていた頃からの活動ですので、長い歴史を感じますね。残念ながら平成14年に閉校となりましたが、静岡市の地域医療にとって大きな足跡を残しました。また昭和36年から日曜在宅医制度を、昭和50年には夜間救急の要である「静岡市急病センター」を東草深に開設しました。平成7年には医師会健診センターメディオを開設して人間ドックなど市民の健康管理を担っています。

(鈴木)メディオは私も利用させてもらいました。医師会の施設だから安心だと思って人間ドックを受けたんです。

(上川) ありがとうございます(笑)。石井会長は、これら施設の開設や制度づくりで大きな働きをされました。そのベースには、地域医療はかくあるべきだとの強い信念がおありだったと思います。

(鈴木)普段はどんなお人柄なんですか?

(上川)お医者さんらしい、お医者さんです。お若い頃は、麻機の診療所で働いていらして、スクーターの後ろに、黒いかばんを抱えた看護師さんが乗り、患者さんのお宅に往診に出かける、そんな先生だったそうです。今でも、その頃の患者さんやその家族の皆さんが、馬渕の診療所に通っています。清貧で真実一路で、患者さんから本当に慕われていて、先生に診てもらったら病気なんてふきとんじゃう、なんて思える方ですね。そういう方が地元で地道に活動されているお姿や、子どもたちの頑張りを具体的に思い浮かべながら政治に向き合っていこうと思います。

(鈴木)国会でのご活躍、ますます期待しています。くれぐれもお体には気をつけて。

(上川)ありがとうございます。そろそろお時間となりました。最後までおつきあいくださったリスナーのみなさま、ありがとうございました。それでは次回まで、ごきげんよう。

 


 

           


 

 


 

 
 


 


 


 

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