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ラジオシェイクradioshake

第94回 「国立多摩療養所全生園訪問、『日本の一番長い日』を観て」

<2015年9月1日>        

(上川)リスナーの皆さまこんばんは、上川陽子です。

(鈴木)コピーライターの鈴木真弓です。どうぞよろしくお願いします。今年も早いもので3分の2が過ぎ、今日から9月。早いですね。

(上川)今年の夏も大変暑い日が続きました。地球全体の気候が動いていると実感しました。

(鈴木)1年前のこと覚えていますか?ラジオシェイクでは総務副大臣のお仕事として病院内で携帯電話の使い方が替わったことや、北陸で4Kの技術を使った医療用ディスプレイの開発メーカーのお話をうかがいました。ついこの前お聞きしたように思いましたが・・・

(上川)総務副大臣時代、ICTが通信のみならず医療の分野にも活用され、日本に新産業のカギになる、と語っていましたね。来年度の予算案として、医療ICTが政策の主軸に上がっています。放送通信分野が医療分野で実際に使われるステージへとアップしたのです。

(鈴木)1年というのはそれだけ意味のある時間だったわけですね。同じ医療にかかわることですが、法務大臣のお立場で、先月、多摩ハンセン病療養所を視察されたそうですね?

(上川)正確には国立療養所多摩全生園といいます。ハンセン病と聞くと、いろいろなことを思い出す方がいらっしゃると思います。感染病といってもきわめて感染力の弱い病気ですが、国がとった隔離政策のため、多くの人々が苦しめられました。間違った政策が遺した負の遺産を展示し、啓蒙活動をされている場所ですね。

(鈴木)負の事例を検証される目的で行かれたのですか?

(上川)ハンセン病は、1873年にノルウェーのアルマウェル・ハンセン医師が発見した「らい菌」によって主に皮膚や末梢神経、眼などが侵される慢性感染症の一つです。病型にもよりますが、皮膚に結節や斑紋などが生じ、また、末梢神経が障害されることから知覚障害や発汗障害などが生じます。その結果、筋肉の萎縮、四肢などの変形、視覚の喪失などの後遺症による障害を残す場合があります。

 しかし、らい菌が感染しても発病に至ることはまれです。また、発病しても現代では外来において、化学療法を中心とした治療を行い、ほぼ確実に治癒する病気となっています。全世界では現在でも、約24万人(2009年)の新規患者が発見されています。我が国に関しては年間10名未満の患者(多くは輸入例)が発見されるのみとなっています。

(鈴木)国立ハンセン病資料館のHPを拝見すると、ハンセン病に対する正しい知識の普及啓発による偏見・差別の解消及び患者・元患者の名誉回復を図るため、長年、多くの方々が努力されてきたようですね。HPには「ハンセン病に対する正しい知識も必要ではありますが、患者・元患者の名誉回復を図るために本当に必要なのは、“ハンセン病対策の歴史に関する正しい知識”であるはず」と解説されていました。

(上川)当日はその資料館もご案内いただきました。今おっしゃった歴史についても丁寧に時系列で展示されていましたね。北陸から看護師のグループも視察に来ていました。医療従事者として大きな教訓をいただいたと思われたようです。

日本のハンセン病対策の歴史は、1897(明治30)年の第1回国際らい会議での〈ハンセン病の予防には隔離が最善〉という提案をそのまま採り入れ、すべての患者を絶対隔離、すなわちすべての患者の終生隔離を目指しました。1907(明治40)年に「癩(らい)予防ニ関スル件」を制定し、さしあたっては放浪する患者の収容からはじめ、1931(昭和6)年には「癩(らい)予防法」に改正して絶対隔離への足がかりをつくったのです。その頃すでに、国際的には隔離の必要性は低いという評価が高まっていて、治療薬プロミンの効果が確認された1940年代前半あたりになると、隔離そのものが問題視され始めていました。

日本では、プロミンの効果をそれなりに認めながらも、再発して感染源になることを恐れて、隔離は依然として必要であるという認識をまげず、漫然と隔離状態を続けてしまいました。回復者の社会復帰も、ほとんどは本人任せで、積極的に支援することもなく、その困難性を根強い偏見によるものとだけして社会啓発はなおざり、という状況でした。1995(平成7)年、日本らい学会は総会の場において正式にこの過ちを謝罪しました。

現在では、治療を開始して数日もすると菌は感染性を失います。未治療の患者と乳幼児との濃密な接触が頻繁にくりかえされた場合を除いて、感染・発病することはまずありません。ほかの慢性の感染症に比べても、さらに安全な〈普通の病気〉のようなものです。世界的な流れからみても、まったく問題ないにもかかわらず隔離政策をとめることができなかった事実にしっかり向き合っていきたいと思っています。

(鈴木)法務大臣がこういう施設を視察されるってあまり聞いたことがないのですが。

(上川)谷垣元法務大臣が訪問されていますね。資料で見るだけではわからない、現場で感じる多くのことを学ばせていただきました。自然に囲まれたとてもよい環境にある施設ですが、多くの犠牲の元に存在していることを忘れないよう、政治家として心に刻みたいと思います。

(鈴木)陽子さんの現場主義が、そういう施設の存在に気づかせてくれたと思います。本当におつかれさまでした。

            

(鈴木)さて、今年は終戦70年という節目の年。815日の終戦記念日には、東京の日本武道館で開催された全国戦没者追悼式に、陽子さんも閣僚の一員として参列されましたね 

(上川)当日は天皇皇后両陛下が追悼のお言葉を述べられました。三権の長、閣僚一堂が集い、全国から戦没者遺族の皆さんがお集まりになりました。静岡からも大勢いらっしゃいましたよ。これから戦争のない平和の国であり続けるための決意で心を一つにしました。

 (鈴木)戦争体験のない若い世代も参列したとニュースで拝見しました。

(上川)子どもさん、お孫さんの世代も参列されていましたね。大変印象深い式典でした。

(鈴木)天皇陛下のお言葉は、いつにも増して心に響くものがありました。陽子さんはすぐそばで聴いておられたんですよね。

 (上川)昨年も総務副大臣として参列していますが、この9ヶ月ほどの間に、両陛下に直接お会いする機会がありましたので、その御姿を通して、言葉を越えた強い思いを感じることができました。

 (鈴木)今年4月、陽子さんから教えていただいた、国立公文書館でのJFK展を観にいって、常設展示コーナーで見た昭和天皇の終戦の勅書を拝見し、戦争を終わらせるということは何と大変なことだったろうと実感しました。

 (上川)その815日の昭和天皇の玉音放送がオンエアされるまでの24時間の出来事を描いた映画「日本のいちばん長い日」が公開されていますね。ご覧になりましたか?

 (鈴木)はい。沼津出身の原田真人監督がメガホンをとられましたね。815日にBSで放送された1967年制作の岡本喜八監督版も観ました。

 (上川)戦争を終わらせることがいかに難しいか。あのとき、一歩間違えれば、新たな内紛が勃発し、戦争が続行していたかもしれない状況でした。ポツダム宣言の受託までにさまざまな対立があった中、玉音放送に辿り着くまで、大きな壁がいくつもあり、奇跡に近い形で終結した、というお話でした。岡本監督の作品とは時間軸が変わっていたようで、今回は鈴木貫太郎内閣が出来るところからスタートしましたね。

 (鈴木)玉音放送が放送されなければ、一部の血気した青年将校が戦争を続行させ、ひょっとしたら日本がロシアやアメリカに分断されるかもしれないという状況だったんですね。映画を見た後、いろいろな本を読んで背筋がブルッとする思いがしました。

 (上川)アメリカの公文書館にも第二次世界大戦に関するさまざまな公文書が保管されています。歴史が伝える教訓をしっかり受け止めなければなりません。

 (鈴木)鈴木貫太郎という首相については、今まであまり意識したことがなかったのですが、映画や本を通してみると、あの非常時に首相職にあって本当によかったと思える人物でした。

 (上川)人間の考え方にはさまざまな違いがあります。それをひとつにまとめていく指導力や信頼関係というのが、国の命運を左右するときにも大きな力になるということを考えていかなければなりませんね。

   ♪

 (鈴木)さて国会会期中ということもあって夏を満喫する余裕はほとんどなかったと思いますが、この夏、何か息抜きになるようなことありましたか?

 (上川)息抜きはほとんどできませんでしたが、今、大変話題になっている又吉さんの小説『火花』を読みました。びっくりしたのは冒頭に出てくる花火が熱海の花火大会だったんですね。

 (鈴木)そうです、冒頭とラストのシーンで印象深く登場しました。

 (上川)こういうことでメジャーになるのは嬉しいですね。

 (鈴木)作品そのものは人を笑わせるという芸人の心の機微を綴った、わりと内向的な小説でしたが、私も単純に、熱海の花火がメジャーになるといいなあと思っちゃいました。

 (上川)静岡にも大きな花火大会がありますので、いろんな角度で注目していただけるといいですね。さあ、そろそろお時間となりました。最後までおつきあいくださったリスナーのみなさま、本当にありがとうございました。それでは次回まで、ごきげんよう。

 

 

法務大臣 活動記録 2017.8.3~、2014.10.21~2015.10.7 総務副大臣 活動実績!

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