かみかわ陽子のラジオシェイク第13回オンエア(1)静岡まつりの改革

 「かみかわ陽子ラジオシェイク」は、2012年4月から、毎月第1・第3火曜日の18時30分から19時までのオンエアになりました。さっそくですが、4月3日放送内容を2回に分けてご紹介します。

 

 

 

オープニング/高田梨加


 

「かみかわ陽子のラジオシェイク」、この番組は自由民主党静岡県第一選挙区支部の提供でお送りします。


 

 みなさんこんばんは。「かみかわ陽子のラジオシェイク」。この番組は、静岡で暮らす私たちがちょっと気になる世の中のこと、もっと知りたい社会のこと、きちんと考えたい地域のことを、上川陽子さんに語っていただこうというものです。


陽子さん、こんばんは。


 

 


上川)こんばんは。上川陽子です。


 

 

(高田)この番組は、先月まで毎月第4日曜の朝8時30分から放送していましたが、新年度にあたり、毎月第1・第3火曜日のこの時間にお引越しをいたしました。新しいリスナーの方も多いと思います。ちょっと気が引き締まりますよね。


 

 

(上川)そうですね、平日のこの時間ですと、まだお仕事や家事をされている方、運転中の方など、日常のこまごましたことをやりながら聴いていらっしゃる方も多いと思います。身近な日常の出来事や問題点が、国や世界を左右する問題に直結していること、大きな問題の解決方法やそのヒントも身近にあるということを、私なりにお伝えできればと思っています。


 

 

(高田)それでは改めて、上川陽子さんのプロフィールを簡単にご紹介しましょう。陽子さんは1953年静岡市生まれ。白百合幼稚園、横内小学校、静岡双葉学園を卒業されたチャキチャキの静岡っ子ですね。


 

その後、東京大学、ハーバード大学ケネディスクールに進まれ、三菱総合研究所で政策コンサルタントのお仕事を手掛けられました。2000年の衆議院選挙で初当選。2004年には自由民主党女性局長、2005年には総務大臣政務官、自民党政務調査会副会長などを歴任しました。2008年の安倍内閣では少子化対策・男女共同参画を担当する内閣府特命担当大臣、続く福田内閣では、初代公文書管理担当大臣にも就任されました。現在は、自民党静岡県第一選挙区支部長として地元静岡をベースに活動をされています。


 

ではここからは聞き手のコピーライター鈴木真弓さんにバトンタッチいたします。


 

 


 


 

 (上川)改めまして、リスナーのみなさん、こんばんは。上川陽子です。


 

 

(鈴木)コピーライターの鈴木真弓です。地元静岡で、陽子さんの広報活動のお手伝いをしています。どうぞよろしくお願いいたします。今日からは、平日夕方のオンエアということで、ホッとできるお話と、ピリッと気が引き締まるお話、硬軟織り交ぜて進めようと思っています。


 

 


上川)よろしくお願いします。4月は、まさに新年度のスタートです。最近、「東大の新学期が9月に」というニュースが話題になりましたね。大学も企業も、グローバルな人材を教育し、採用する時代になっています。卒業と就職のブランクがないように、日本の大学も国際標準に合わせて新学期は9月に、ということらしいのですが。わが国の生活文化は、なんといっても、春爛漫、桜満開の4月が新年度ですよね。私たちラジオシェイクも、メリハリを付けていきましょうね。


 

 


 

(鈴木)まずは、明るく、ホッとするお話からいきましょうか。


 

(上川)静岡市の新年度は、静岡浅間神社の廿日会祭から始まります。今は、廿日会祭が開催されていますが、6日からは、市民総出の静岡まつりが始まります。昨年は東日本大震災を受けて中止になりましたので、2年振りの開催ですね。


 

静岡浅間神社の廿日会祭と静岡まつりの関係は?って、よく聞かれるんですが、廿日会祭は、400年以上の伝統のある古式ゆかしいお祭りです。これに対し、静岡まつりは、地域にとってかけがえのない伝統の廿日会祭を、市民でもっと盛り上げようと、昭和32年(1957)からスタートしました。駿府城・城主であった徳川家康公が、この季節、家臣を引き連れてお花見をしたという故事にならい、大御所花見行列が町の中心部を練り歩くというお祭りですね。


 

(鈴木)もう今回で56回目なんですね。結構、歴史がありますね。


 

(上川)真弓さんは、子どもの頃お祭りに参加したことがありますか。私が小学生の頃は、氏子町内毎に何基もお練りが登場し、巡行をしていました。子どもたちは、手甲脚絆にジャラジャラと環のついた錫杖(しゃくじょう)を鳴らしながら、「ヨーオイサ、エンヤラサーノ、セーエ・ヤレコノセ、サーノセー、イーエーハー、アレワサーエーンヤーアラネー」って唄いながら市内を練り歩き、地踊りを披露しました。


 

私は、日本舞踊をやっていたので、毎年舞台のついた山車に乗って曳いてもらいながら、行く先々で日本舞踊を奉納していたんです。お練りは市内十何基もでていましたし、大勢の子どもたちが参加していました。子ども心に、4月のお祭りが待ち遠しくて、ワクワクしていましたね。ところが年々、お練りの数も減り、子どもたちの参加も少なくなって、風景は一変しています。ちょっと寂しいですね。


 

(鈴木)以前はどちらかといえば、市民はただ行列を見物するだけ、という感じだったでしょう。それが、今から16年前の第40回から、市民が参加して『夜桜乱舞』や『駿府登城行列』を再現する市民参加型イベントに大きく変わりました。陽子さんは静岡まつりの“お祭り改革”に加わっていたそうですよね


 

(上川)地元の静岡に帰って活動をしていた頃でした。当時「人の集まる街づくり市民会議」の会長であった田中楯夫さんから、マンネリ化していた「静岡まつりの改革をするから協力してほしい」と口説かれ、改革委員会の副委員長に就任しました。目標は40回を契機に、新しい市民参加のイベントにしようと、1年間議論を重ねまして、その間、富山の「風の盆」や高知の「よさこいソーラン」などの事例を勉強し、できるだけ市民がいろいろな形で参加できるような仕掛けをたくさん打ち出しました。


 

例えば、大御所花見行列だけではなく、地域4か所から大名たちが登城する「登城行列」、私は踊りが好きだったので、市民総踊りとして「夜桜乱舞」を提案し、初代夜桜乱舞部会長に就任しました。「さくら96」「平成ちゃっきり節」を開発し、「竹千代どんどん」といった新しいレパートリーが加わりました。デモンストレーターの制度は、今は「WAZAの会」として、静岡市の宣伝広報のシンボル的存在となって活躍されていますし、インストラクターの制度は、地域の公民館や体育館での新しい踊りが加われば、その指導にと活躍されています。


 

(鈴木)夜桜乱舞は静岡まつりからいわば独立したかたちで、いろいろな場所で踊られているようですね。踊りが大好きな陽子さんにとって、踊りで市民が元気になって地域が活性化するって、願ってもない広がりですね。


 

(上川)あの頃手がけた改革の提案が、具体化し、進化している姿をみるのは、「夜桜乱舞の」の生みの親の一人としては本当にうれしい限りです。


 

(鈴木)駿府大御所時代絵巻・静岡まつり、今年は4月6日金曜日から8日日曜日まで、開催されます。ちなみに大御所家康公役ですが、6日と7日は若手俳優の中尾明慶さん、8日はベテラン俳優の中尾彬さんが扮します。夜桜乱舞は、静岡駅前から市役所に続く御幸町通りをメイン会場に行われます。どうぞお楽しみに。
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