『勝つぞ福島!! いわき市の皆さんを励ます会』レポート
■実施日 2011年6月10日(金)〜11日(土)
■会 場 道の駅よつくら港(福島県いわき市四倉5丁目218−1)
■参加者 上川陽子、植田朝子、梅木敬子、梅原慶子、曽根明子、田中昌江、森ます、武野弘子、西野一枝、小柳奈津子、石原慈都子、青木里佳、松浦友子、高田正子、鈴木真弓、村松潮見、杉山賢治、武田雅道、菊地基介
 
 
 
6月11日は東日本大震災3カ月目の節目ということで、多くの被災地で追悼行事が開かれました。
 上川陽子さんは4月16日に福島県選出の衆議院議員吉野正芳氏の案内でいわき市の沿岸部約50キロの被災状況を視察し、静岡の水を送る等支援活動を続けてきました。今回は「しずおか食の未来実現会議」の総意として静岡の食材を直接現地へ持ち寄り、被災者を励ます炊き出し支援を実施しました。貴重な食材を提供してくださった皆様、ツアーに参加しボランティアに尽力された皆様に、まずは心から感謝申し上げます。
本レポートはツアーに参加したコピーライター鈴木真弓が報告いたします。
 
 
かみかわ陽子事務所で毎週水曜の昼、『食育カフェ』を運営する女性スタッフを中心に19人の仲間が、小型バスをチャーターして10日22時に静岡を出発。11日朝7時に現地入りして、共同募金会と日本赤十字社福島県支部からお借りしたテントを設営し、静岡茶、つきたて餅、黒はんぺん、葉しょうが、バラの花等を無料で振る舞いました。300〜400人分の食材を手配して25人乗りの小型バスにぎゅう詰めし、現地では2時間足らずで準備した女性たちの連携と手際の良さは見事の一言。長距離運転の疲労をもろともせず、スルガ観光の運転手2人も炊き出し支援に参加してくれました!
  
 
 


 
 
 既製品は黒はんぺんぐらいで、飴、マーマレード、わさびの茎酢漬けは手作り。各々家庭から持ち寄った鍋やフライパンなどを駆使して、わさび漬けは現地でお客さんにもわさび漬け作り体験してもらうなど、“組織化された支援隊”というよりも、静岡の家庭のお母さんたちがそのまんま台所を移動させてきたという感じ。準備には1週間かかったとうかがい、みなさんのやる気の程がひしひしと伝わってきました。吉野先生も会場に駆けつけてくださいました。
  
 
 
 
 
 
 
   
茶娘にふんした3人が、ブースの“看板娘”になってくれて、多くのお客様の注目を集めました。自慢の静岡茶を、何杯でも同じように美味しく淹れる裏技を発揮。煎茶をすり鉢に入れて細かくくだき、お湯で溶かしてから急須に移して淹れるのです。ひと手間加えるだけで、深蒸しじゃない煎茶でも、深蒸しのように色鮮やかで味も濃く、栄養価もたっぷりの飲み応えあるお茶になります。「リピーターが多かった」「お連れ様に勧める人も多かった」「湯呑の準備が間に合わなくなって途中から紙コップを使わざるをえなかった」等など大評判でした。
 
  
 「ふだんから静岡茶を送ってもらっている」「いわきで静岡茶を売っていたお茶屋さんが被災して店を閉じてしまい、美味しいお茶が飲めなくて淋しかった」等という声も聞き、もともとお茶好きな方が多いのかなと思いました。
気になるのは静岡茶も放射線セシウムが基準値以上出たというニュース。道の駅の構内で豆腐を売っていた店主からは「今日はお茶売らないの?静岡茶支援のために買わせてもらいますよ」と激励されてしまいました。
道の駅よつくら港は4月に視察したときからあまり変わらず建物が半壊状態で、構内では豆腐やさん、漬物やさん、弁当やさん、お菓子屋さん、パン屋さん、野菜農家の方々等が、自分の店や工場が被災して商売が出来ず、かろうじて作れる分だけ持ち寄って細々売っているという状況でした。
  
 
 
 そんな方々から励まされるなんて、申し訳ないという気持ちと同時に、「静岡市から来たの?葵区は大丈夫?」なんて声をかけていただき、原発放射能のニュースにどれだけみなさんが敏感でよくご存じかが判って、何か“つながる”ようなものを感じました。
 静岡茶を飲みに来られたあるお店の女将さんは、「工場が流され、再建のめどは立っていない。子どもは親戚の家に“疎開”させ、今は主人と2人でなんとか踏ん張っているんです」と涙ぐんでおられました。
空き時間に道の駅内の女将さんのブースを訪ねて少しばかり購入させてもらい、「通販か何かで買う手段は?」と訊いたのですが、そういうところまで気が回る段階ではないようで、言葉に詰まる彼女の表情を通し、復興の遅れのしわ寄せが地域の個人事業者を追い詰めている現実をまざまざと見るようでした。
『道の駅よつくら港』では、11日昼から、いわき青年会議所と福島中央テレビさんが『灯そうふくしまに光を IN 道の駅よつくら港』という3カ月追悼イベントが開かれました。クラシック音楽イベント、大道芸パフォーマンス、炊き出し支援、衣類の配布、キャンドル点灯等、さまざまなイベントが行われ、スペシャルコーディネーターとしてキャンドルアーティストのCandle JUNEさんも来場されました。女優の広末涼子さんと結婚し、話題になった方で、会場には広末さんお手製のお菓子も並んだようです。
  
 
 
 そんなイベントがあることを現地に来るまで知らなかったので、ちょっとビックリしましたが、当初は天気予報が悪く、お客さんの出足を心配していたので、これである程度見込める・・・とホッとしました。おかげで会場は昼過ぎぐらいから大いに賑わい、茶娘も餅つきイベントに駆り出され、会場を盛り上げました。
 600本持参した静岡のバラの花は、道の駅よつくら港の関係者と吉野先生に寄贈し、さらにCandle JUNEさんから「2時46分の献花式で使わせてほしい」という申し出をいただきました。また追悼イベントの冒頭では、Candle JUNEさんからこちらのブースのことを紹介していただき、上川陽子さんも挨拶の時間を頂くなど、望外の待遇をしていただきました。イベントの詳細は道の駅よつくら港のブログをご参照ください。
   
  
 
 
 
朝、準備をしていた頃は小雨まじりで港一面に霧が立ち、その中でクレーン車がガレキの撤去作業をしている物寂しげな雰囲気だったのですが、道の駅よつくら港を運営するNPO法人よつくらぶの佐藤雄二代表が「朝、霧が立つと晴天になる。9時になれば陽が出てくるよ、安心しな」と声をかけてくれました。
 でも佐藤さんが「いつもとは違う北側(福島原発方面)から風が来ているから、親御さんは子どもを外に出したがらないかもしれないなぁ」とポツンとつぶやいた一言が胸を突きました。言葉通り、本当に9時過ぎから天気が回復したのですが、お天気が良くても子どもたちを気持ちよく外へ送りだせないこの地の状況?いわき市四倉は原発から南に35キロ地点?の不条理さを実感しました。
 そんな状況にもかからわず、お客さん第一号は、自転車に乗ってやってきた小学4〜5年生ぐらいの男の子2人でした。女性スタッフたちは大喜びで、つきたて餅を焼いてきなこをまぶした安倍川もち、大根おろしのからみもち、海苔を巻いた磯辺焼きの3色仕立てにし、焼き黒はんぺん2枚を添えてふるまいました。そして手土産に手作り飴を渡し、「お父さんお母さんやお友達も連れておいで〜」と見送りました。
  
 
 
 その後の会場はこのとおり。多くの家族連れで賑わいました!  
  
 
 
 持ち寄った食材は14時前になくなり、Candle JUNEさんのイベントで挨拶の時間をいただいて我々は引き上げることに。NPO法人よつくらぶの佐藤代表が、帰りのバスで飲んでいってくださいと、会津若松の地酒『名倉山』と地元いわきの地酒『又兵衛いわき丸』を差し入れてくれました。
 車内で一息つき、酒が入って参加者が打ち解けた気分になったところで、それぞれ印象に残った話をしてくれました。
 
「ブースを片付けて帰ろうとしたら、“今日は来てくれて本当にありがとう”とわざわざお礼を言いに来てくれた人がいた。その人は涙ぐんでいた」
「“母がまだ行方不明なの。でも今日は安倍川もちが美味しかった、ありがとう”と言われて目が熱くなった」
「黒はんぺんを美味しいと言ってくれた男性は、3人の子連れのお父さんで、寿司屋を営んでいたが店が流されてしまったそうだ」
「“静岡って本当にいいところですね、この3ヶ月間、ここに住むのが不安で名古屋方面に転居先を探していたけど、静岡も考えてみます”と言われた」。
 
鈴木も会場内でこんな声を取材しました。「子どもを県外に疎開させている人もいれば、ふつうに暮らしている人もいる。人それぞれなんですねぇ」と訊くと地元の男性は「逃げているのは県外に避難できる親戚の家があるとか、放射能の問題に敏感な人なんでしょう。こっちの人はもともと根が明るくてのんびりしてるんだ。いちいち気にしてたら暮らせない」と苦笑いしていました。
 ただ、その裏にはやむにやまれぬ事情もあるようで、同じ市内、同じ町内でも、地震本体の揺れの被害はさほど大きくなかったせいか、沿岸部がこれほどの津波被害に遭っていたことを知らない市民が多かったとか。津波に流されたある町内では、被害のなかった内陸部の地区で翌日、のんびりお祭りの準備をしていたそうです。
 「いわき市はもともと14市町村が広域合併したまちで、市役所の職員でも沿岸部の事情を把握しているのは一握り。そんな状況の中で原発事故の風評被害に直撃され、ある学校が生徒を原発から遠い学校へ編入させようとしたら、PTAから“偏差値の低い学校と一緒にさせるな”と反発をくらったことも。地域内でも格差や差別がある状態なんです」と地元関係者はやりきれない表情で語っていました。
 別の関係者からは、「風評被害で、いわき市には水やガソリンのタンクローリー車でさえ運転手が拒否して入ってこなかった。ガソリンがなければ足がなく、水や食料を買いに行くこともできず、本当に死活問題だったが、幸か不幸か、交渉先が電話でタンクローリーとタンカーを聞き間違え、“(当時、タンカーが接岸できるのはいわき市の小名浜港だけだったので)小名浜に強制的に着けさせられた”と連絡をよこした。笑い話みたいだが、それでやっと凌げた」なんて話も聞きました。
 十分な支援を受けられず「気にしたってしょうがない」の境地に至る・・・。ひょっとしたら(明るくてお人よしといわれる)静岡県民も、浜岡原発で何かあったら、そんなふうになるんじゃないかなって気がしました。・・・私は「静岡で起きるかもしれない不幸を、福島の人に肩代わりしてもらった気がします」と答えるのが精一杯でした。
 茶娘に向かって「静岡茶?」と一瞬眉をひそめる人もいたようですが、「静岡も頑張らなければね」と励ましてくれたり、「沼津に姪がいるよ」「静岡駅前で開かれた結婚式に呼ばれたばかり」等など、一生懸命静岡との縁を語ってくださる方もいました。
 「ここで安倍川もちと静岡茶がいただけるなんて」と大喜びで、募金をしようとした人がいたので、「そんな・・・、地元の方からはいただけません」とお断りしようとしたら「前橋から来たんですよ」とのこと。道の駅のすぐ近くで、破裂した下水管の周辺に土嚢を積むボランティア作業をしていた前橋の社会福祉協議会のみなさんでした。
 人手が足りなくなって私もブースをお手伝いし、葉しょうがをみそマヨでトッピングしてビールのおつまみになることをアピールしました。葉しょうがの味はみなさん大絶賛でした。
 「美味しかった、ごちそうさま。お返しにせめて献血でも・・・」と言われた時はビックリ!日本赤十字社のテントを借りていたことを思い出し、思わず苦笑い。まさかここで群馬の人に安倍川もちや葉しょうがを褒めてもらうとは思いもしませんでしたが、こんな状況でも、遠く離れた地域同士が交流し合うっていいなあと思いました。
 
 ブースに来てくださったいわきの方々は、明るくて大らかで我慢強いように見えましたが、こちらが差し出したものを受け取るときに、何か一言、自分たちの境遇を聞いてほしい、知ってほしいという本当の心の内を垣間見せてくれたように思います。我慢強いこの地の人々が、ほんの少し、心を縛った我慢の紐を緩められる・・・そんな時間を与えることができたなら、我々のミッションはひとつ意義があったのではないでしょうか・・・。
 そんないわきの人々の心根を知って、我々も「この人たちは、抱えきれない不幸をじっと堪えて生きているんだ」と解る。よく、ボランティアや支援物資を運びに行った人が、逆に励まされて感動したという話を聞きますが本当のことですね。
 でもこちらが感動して自己満足して終わってしまっても意味がありません。福島いわきの人々の痛みを理解し、寄り添い、継続してつながる努力をしながら、わが静岡の防災の在り方を真剣に考え、地域力の研鑽に努めなければと思います。(了)
 
 
JA静岡茶業センター様  
JA静岡市営農経済センター様  
JA静岡市わさび共販委員会 様  
JA静岡市 葉しょうが委員会 様  
(有)和田 清商店 代表取締役 和田裕巳 様 静岡市葵区新富町2−16
静岡茶業青年団 様 静岡市葵区北番町56−1
初美園 今村商店 様 静岡市駿河区聖一食662−3
大晃 株式会社 代表取締役 岡本晃典様 静岡市葵区沓谷6−16−4
株式会社 協栄 代表取締役 成岡廉三 様 静岡市駿河区中島823−5
システムソフィア 株式会社 代表取締役 柘殖正隆 静岡市駿河区有東2−2−10
静岡市水産物商業協同組合 静岡市葵区流通センター1−1
株式会社 TIGER 様 静岡市駿河区西豊田1−1−36
森田バラ園 森田剛司様 静岡市葵区東23
西野啓子様 静岡市駿河区小鹿
浜本百合子様 静岡市葵区城北
望月美子様 静岡市葵区安東
瀬戸スズエ様 静岡市葵区千代田
星野としえ様 静岡市葵区北安東
安本良子様 静岡市葵区南安倍
大石とし子様 静岡市駿河区新川

 

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