6月5日(火)18時30分〜19時、FM−Hiでオンエアされた『かみかわ陽子ラジオシェイク』の内容を、2回に分けてご紹介します。
オープニング/高田梨加
「かみかわ陽子のラジオシェイク」、この番組は自由民主党静岡県第一選挙区支部の提供でお送りします。
陽子さん、こんばんは。
(上川)こんばんは。上川陽子です。
(高田)旧暦ではちょうど田植えの時期にあたりますね。
(上川)実は日本気象協会のプレスリリースによると、今、日本版の二十四節気を新たに作っていて、今年秋を目途に発表するそうです。二十四節気は、もともと古代中国で成立したものですが、太陽の角度を24等分し15日ごとに季節を表したものです。
(高田)今日は6月5日ですが、二十四節気ではなんというのですか。
(上川)今日、6月5日は、芒種(ぼうしゅ)。芒(ぼう)は稲のもみ殻にあるトゲのような突起を指すそうです。芒種の種(しゅ)は「たね」のこと。つまり穀物を播く時期を指すようですね。
ついでに、二十四節気の一年のカレンダーを紹介しますと、旧暦の1月は、立春と雨水、2月は啓蟄と春分、3月は清明と穀雨。ここまでが春ですね。4月から夏になり、立夏と小満、5月に芒種と夏至が来て、6月に小暑・大暑となります。7月から秋で、立夏・処暑、8月は白露・秋分、9月に寒露・霜降、10月からが冬で立冬・小雪、11月は大雪・冬至、そして12月は小寒・大寒と続きます。
(高田)いろいろありますね、正直、もう馴染みのない言葉もあるんですが、気象協会が新たに日本版をつくる狙いはなんですか。
(上川)今、衣食住を考えても季節感が希薄になっていますね。日本の四季の良さをもう一度見直す、天文学や気象学のみならず、言語や日本文化を含め、多面的に見直して、親しみを感じる季節の言葉に置き換えようというわけです。そういう意味でも、新たな問題提起ですね。今日はこうした暦や時計にちなんだお話をしようを思います。
(高田)わかりました。ではここからは聞き手のコピーライター鈴木真弓さんにバトンタッチいたします。
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(上川)改めまして、リスナーのみなさん、こんばんは。上川陽子です。
(鈴木)コピーライターの鈴木真弓です。どうぞよろしくお願いいたします。もうすぐ「時の記念日」ということで、今日は「からくり時計」のお話から行きましょうか。去年10月のオンエアだったと思いますが、この番組で静岡の街中に、からくり時計を作る運動を始めたとうかがいました。もう一度おさらいしてもらいますか?
(上川)はい、話は一昨年秋の静岡みこし祭りに遡ります。青葉シンボルロードで、御神輿を送り出すとき、ふと、「静岡の街中にシンボルの計がないなあ」と気づいたんです。公共の空間から時計が消えて久しいですね。遠くからでも時計が見えれば、お祭りを進行する上で目安になるし、待ち合わせや集合場所としても便利ですよね。そんな話を仲間としているうちに、「静岡にからくり時計を作ろう」と声が上がりました。
(鈴木)確かに青葉シンボルロードの周辺って、からくり時計はおろか、シンボルになるようなものもないですよね。時計があれば便利です。
(上川)静岡の街の懐かしい音、どんな音色がいいか調べていたとき、郷土の歴史に詳しい黒澤脩先生から、久能山東照宮に徳川家康公がスペイン国王から送られた日本最古の洋時計があり、400年前のその時計が、今でもちゃんと音を鳴らすという話をうかがいました。
そんなに凄いお宝があるなら、ちゃんと調べて、出来るものならその音を平成の今、静岡の街中で鳴らしたいね!と盛り上がりまして、黒澤先生や、東照宮の落合宮司にもご協力をいただいて、6ヶ月後、『駿府静岡からくり時計実現会議』、通称「すんぷ時の会」という組織を立ち上げました。
(鈴木)陽子さんが幹事長になってあれこれ奔走されているんですよね。
(上川)そうなんです。ちょうど1年前の2011年6月10日の時の記念日に会は正式に発足し、定期的に勉強会を開いています。
(鈴木)徳川家康公の洋時計って聞いても、一般の市民にはあまり馴染みがありませんよね。
(上川)今からちょうど400年前の1610年に、スペインの船が遭難して千葉の御宿海岸に流れ着き、住民が献身的に介抱したんですね。家康は三浦按針の帆船で、乗組員をスペイン領のメキシコアカプルコまで送り届けたそうです。そのお礼に、スペイン国王から国王お抱えの時計職人ハンス・デ・エバロが作った、当時最先端の洋時計を駿府城で家康に贈られたというわけです。
(鈴木)私もその勉強会に参加させてもらっているんですが、家康公がそんな国際親善をされていたなんて、初めて知りましたし、江戸時代に発展したからくり技術の原点、ひいては日本のモノづくりのベースがその洋時計にあったと知ってビックリしました。
(上川)確か2回目の勉強会でしたね。安心堂の時計技師であった金子厚生さんが、幕末に万年時計を発明した田中久重翁について紹介してくださいました。田中久重は“からくり儀右衛門”としてのちに東芝の創業者として日本の技術史に名を残した人ですね。
(鈴木)どんな時計を作ったんですか?
(上川)彼が1851年、京都で三年かけて作った万年時計とは、?江戸時代の時法、?現代と同じ西洋時刻、?二十四節気、?時を打つ数の設定、?十干十二支、?月の位置と日付という6つの機能を同時に表示します。時計本体のてっぺんには、京都から見た太陽と月の地平線における出没の状況を示す天文カレンダー時計まで付いています。これを、手作りの歯車を用いて、二重ゼンマイ2組計4個のゼンマイが動かします。ゼンマイは1回巻くだけで1年近く連動稼働できたそうです。田中久重はほとんど一人で、手作業ですべてを創り上げたわけです。途方もない技の結晶なんですね。
(鈴木)2005年の愛知万博を前に分解調査を行い、復元して、愛知万博会場に展示されたそうですね。実物は現在、東京の国立科学博物館にあるとのことですが。
(上川)今年4月、その万年時計をみんなで見学に行きました。愛知万博での復元展示にも尽力された、国立科学博物館名誉研究員の佐々木勝浩さんに懇切丁寧に解説していただきました。外側は七宝や蒔絵や、透かし彫りなど日本の工芸技術の粋を集めたデザインで、見た目は芸術品そのものでした。
中の構造は実に繊細で、コンピュータや機械のない時代にあれほどパーツをよく作ったものだと感心しました。何より、それぞれのパーツをどうやって組み合わせたら、複雑な機能を同時に動かせるようになるのか、その発想が素晴らしい。
(鈴木)いただいた資料によると、万年時計の復元にあたった現代の研究者がこう述べています。
「万年時計の意義とは、自然のリズムを機械の中に閉じ込めようとした発想と機構を創り上げた点にある。時計の技術自体は西洋から輸入されたものだけど、それを日本の実生活に合わせた仕様に作り変えた。これは日本だけの、日本でしか作れなかったもの。普遍的なものよりローカルなものを作るという考え方は、日本独自の技術を確立するという意味で現代にも表れている。独自のものづくりに回帰している流れの中で、この万年時計は非常に重要な意味を持つと思う」。
(上川)直接万年時計を見た時、私は、まさに時計の地球儀のようなものだと実感しました。各地域で使われている7つの暦を、なんと一体化した世界観をもつ時計ですから。測るものさしが違う暦や時間をひとつにするんですから、よくよくそのからくりを考えなければなりません。
さらに、考案した時計を、今度は当時の技術や材料を駆使して、約1000個の部品を使い、組み立てたのですから、とてつもない智慧と技の結晶なんです。田中久重が、熱烈に打ち込んでいた姿が目に浮かぶようです。
(鈴木)徳川家康の洋時計は、先月、イギリスの大英博物館の時計部門最高責任者が直接調査に来ましたね。
(上川)1581年の製造当時のまま残っているというのは世界的にも大変貴重で、現在、世界でもっとも優れた時計鑑定士は、イギリスの大英博物館の鑑定士だそうです。今回来日されたデビッド・トンプソンさんという最高責任者の確かな鑑定によって、この時計の価値はますます高まっていくことでしょう。
(つづく)