「こどもと育つ」娘たちの声援 涙が出た日本経済新聞 2002年7月9日夕刊
そして初当選。支持者の方々や家族に感謝の念かこみあげた。選挙戦での娘たちの姿を思い浮かべると、今でも涙ぐんでしまう。「政治に賭け、必死に生きてきた私を分かってくれた」という感慨が涙を誘い出すのだ。その二人も大学三年生と小学校六年生になった。進歩がない大人たちと違って、どんどん育っていくから頼もしい。 私には二つの家がある。静岡市に私の両親と悠希がいて、大学のクラスメートだった夫、卓苗と真希は東京在住。活動のベースは静岡で、国会開会中も新幹線で通う。地域コミュニティーの支援で国会に送り出してもらった者として当然の行動だ。早朝や深夜に仕事があると東京に泊まる。 国会議員になって二年。娘たちとゆっくり話をする機会が一段と減った。だからこそ、一緒に過ごす貴重な時間を大事にしたい。 幼いころ、私を「かーちゃん」と呼び、甘えん坊だった悠希は最近、照れて私にあまり寄ってこない。私の母にほおずりして見せびらかす。でも、しっかり者だ。私の選挙ポスター「ヨーコ、今あなたしかいない」は地元で話題になり、学校でまだ冷やかされるらしいが、動じない。秋の社会科見学の行程に国会が入り、「議事堂にいてね」と約束させられた。私のことが誇らしいのかなと思うと、いとおしくなる。 真希は物心つくころから、きっぱり「ママ」と呼んだ。就職して間がなく、若かった私の頭には育児論が渦巻き、余裕がなかった。彼女は自立した女性に育った。私が政治を志したころ、彼女は思春期を迎えたが、私の意志をよく理解してくれたと思う。将来の進路は「ないしょ」と言って明かしてくれないが、米国に留学し、私と同様に国際関係論を学んでいる。 私は三菱総合研究所時代に米国へ留学、政治行政学を学び、米民主党上院議員の政策スタッフに加わった。議員も議会スタッフも平等に使える育児支援システムは素晴らしかった。帰国して悠希を産み、十一年ぶりに子育てを一から再開したが、育児をサポートする制度が進歩していないことに驚いた。ゼロ歳児保育を手始めに様々な制度を利用したが、使い勝手の悪さは相変わらずだった。 日本の制度は今も貧弱だ。育児を支援する政策を立案する一方で、国会が率先してママさん議員や秘書、職員をバックアップする仕組みを作りたい。ただ「制度があるからいらっしゃい」というのは本末転倒だと思う。環境が厳しくても、様々な分野に挑戦する気概を持った女性がもっともっと増えてほしい。 かみかわ・ようこ、49歳 |