YOKO KAMIKAWA OFFICIAL WEB SITE

かみかわ陽子

私の意見

「大義」の行方 

情熱だより2003年8月号巻頭

 かつてキッシンジャーは、「危機を定義できる国、それが超大国だ」と言い放った。たしかにアメリカはイラクを世界危機の元凶(ならず者国家)と定義し、戦争を始めたという点で超大国ぶりをいかんなく発揮した。しかし国際社会はそれをなかなか認めようとはしなかった。そして今、そうした「定義」がかなり強引で、いかがわしいものだったことが暴かれようとしている。アメリカ国内では、ホワイトハウスが関わった第二の「ウオーターゲート事件」とみる向きもあるようだ。仮に「危機」が意図的に演出されたものなら、その結果、何千人ものイラク国民が犠牲になったことへの責任は重大である。超大国は「力」だけでなく、「大義」を得てこそ超大国たりうる。ひとりの人間がその「人格」によって社会から認められるように、国家も国際社会の中では「風格」が求められる。「腕力」だけでは長続きしないのである。

もっとも、イラク戦争に伴う状況変化は、アメリカが国連の新決議なしに戦争を始めた当初からある程度予想され、私自身が当初懸念したとおりの経過を辿りつつある。すなわち、アメリカはフセイン政権を倒すことはできたが、イラク国民を心服させることはできず、最終的な平和の実現には程遠い。そうした中でアメリカ兵が毎日のように殺され、「情報操作」疑惑も加わって、国際世論ばかりかアメリカ国内でもこの戦争の正当性を疑問視する動きが広がっている。今後、アメリカが対応を誤れば、ますますぬかるみにはまり(ベトナム戦争化を懸念する声もある)、アメリカ国民の気持ちはブッシュ政権から離れていくだろう。また、アメリカの戦争を支持したイギリスなど各国政府は国内での激しい批判に晒され、中には戦後復興への国連の協力依頼がないことを理由に兵員派遣の約束をキャンセルする国(たとえばインド)も出始めている。

今からでも遅くない。大量破壊兵器の査察を国連に委ね、イラクの戦後復興はイラク人自身と国連が主導すべきではなかろうか。アメリカを国際協調の枠組み(国連)に連れ戻すことが、友人としての日本の使命ではなかろうか。

↑ページのトップへ

←戻る