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かみかわ陽子

私の意見

リーダーの責任について思うこと

情熱だより2001年9月号巻頭

今年の夏、日本列島は小泉首相の靖国神社参拝をめぐり、例年になく嵐が吹き荒れました。参拝の是非やその形式、アジアとの外交問題など、さまざまな人たちがこの問題について発言し、これほどまで思想信条や立場の違いが明らかになったことはありません。私自身、初盆のお参りに回りながら、それぞれのご家庭の戦争体験や戦後のご苦労をお聞きすることになり、改めて政治の責任、政治家の責任の重さを考える夏となりました。

「進歩のない者は決して勝たない 負けて目覚めることが最上の道だ 日本は進歩ということを軽んじすぎた 私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた 敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか 今目覚めずしていつ救われるか 俺たちはその先導になるのだ 日本の新生にさきがけて散る まさに本望じゃないか」(吉田満「戦艦大和の最期」)

これは、戦争に敗北することが自明の下で、自分たちは何のために命を捨てるのかという問いについて、沖縄戦に特攻出撃する戦艦大和の学徒青年士官たちが到達した結論です。では次代の日本を支えるはずの若者たちをそうした場に追いやった責任は、いったい誰にあるのでしょうか。私はすべての軍人・政治家をはじめとするリーダーたちの無責任に帰されると思うのです。

戦後半世紀たった今、総理大臣の靖国参拝やその形式の是非を論じること以上に、国民が求めるリーダーのあり方やリーダー自身が国民に対して負うべき責任を考えることの方が、より重要ではないかと思うのです。私はひとりの政治家として、国民がこの国を自然な気持ちで愛し、「守るに値する」大切なものと感じられるよう、変えていく「責任」を強く自覚しています。散華の世代の死に報いるには他に方法を知りません。そのことが、私が政治家を志した原点でもあるのです。

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