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かみかわ陽子

論文・対談・投稿・マスコミ

 

「義務」と「責任」

月刊誌「自衛隊友の会 」2000年記念号

先日のロシア潜水艦沈没事故の報に接し、年配の皆さんの中にはあの「佐久間艇長」のことを思い出された方が少なくなかったのではないでしょうか。佐久間艇長は、事故で自らの潜水艦とともに広島湾沖の海底に沈みながら、酸素が切れる最期の時まで遺書とも言うべき記録を冷静沈着に書き留めました。

その遺書は、部下を死なせることへの謝罪で始まり、考えられる様々な事故原因、潜水艦研究を事故によって遅らせるべきでないこと、さらに全員が最後まで職分を守ったことにまで触れ、部下の家族が困窮することのないよう懇請して終わっています。そこには、国の安全に責任を自覚する人たちに共通の「義務」という美点を読み取ることができます。例えばネルソン提督がトラフアルガー海戦でナポレオンを打ち負かした後、「自分は義務(duty)を果たした」との言葉を残して戦死したように…。明治後期(明治四十三年)には、まだそのような軍人としての義務感が形あるリアリズムとして息づいていたのです。

しかし、そのような時代は長くは続きませんでした。敗戦までの戦中・戦前期には、「何を、何のために守るのか」といった基本的なことがすでに曖昧になっていたのです。そのための悲劇が例えば沖縄戦に特攻出撃する戦艦大和の艦内で現出します。(吉田満「戦艦大和の最期」)。戦争に敗北することが自明の下で、自分たちは何のために「大和」とともに命を捨てるのか、その「意味」を求めて学徒出陣の青年士官達は苦しみます。その結果、彼らが到達した結論は次のようなものでした。

「進歩のない者は決して勝たない 負けて目覚めることが最上の道だ 日本は進歩ということを軽んじすぎた 私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた 敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか今目覚めずしていつ救われるか 俺たちはその先導になるのだ 日本の新生にさきがけて散る まさに本望じゃないか」

次代の日本を支えるはずの若者たちをそうした場に追いやった責任は、すべて軍人・政治家をはじめとする当時のリーダーたちの無責任に帰されます。

私は国の安全をあずかる人々に対しては、「義務」を果たすことだけをお願いしたい。しかし彼らの「義務」に明確な意味を与える「責任」は政治家が負うものとして、私自身も担う覚悟です。私はひとりの政治家として、国民がこの国を自然な気持ちで愛し、「守るに値する」大切なものと感じられるよう、変えていく「責任」を強く自覚します。それは国旗や国歌を定めるよりもっと本質的で困難な仕事のはずです。しかし散華の世代の死に報いるには他に方法を知りません。私が政治家を志した原点はそこにあるといっても過言ではありません。

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