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かみかわ陽子

プロフィール

私の青春時代 素朴な夢を叶えたい

月刊誌「自由民主」2001年 5月号

私の青春時代 素朴な夢を叶えたい大学では、1学年が30人足らずという小人数のクラスでしたが、さまざまな人との出会いがありました。それは、懐かしいというより、いまの自分がスタートした時だったという思いです。主任教官は、後に亜細亜大学で「一芸一能入試」などユニークな試みを実践された衞藤瀋吉先生でした。講師には外務省の小和田恒先生もいらっしゃって、師弟関係はいまも続いています。

あるとき、衞藤先生から「現実の政治を知るために」と、赤城宗徳衆議院議員をご紹介いただき、議員会館にお訪ねしました。日米安保条約など日本の安全保障に関する政策や外交問題についてお話を聞くためうかがったのでした。私は初対面の学生です。にもかかわらず、赤城先生はご自分の政治信条を詳しくお話下さいました。かつて地元・茨城で明野村の村長をしておられた赤城先生は、「故郷のこの村をよくしたいと思ったから」村長になろうとしたのだとお話しされました。「だが、村長じゃできないことがあまりにも多いことが分かった」のだそうです。それで、茨城県議になられた。しかし、それでも村をよくするには「できないことが多すぎる」ことに気づき、県議としての限界を感じられた。国会議員になった理由はそういうことだったと、お話下さったのです。

赤城先生は、「私にとっての政治の原点は『村をよくしたい』ということなんです」とおっしゃいました。私はいま、政治には大局的な見方も大切だけど、「みんなの素朴な夢を叶えること」が政治に求められる役割であり、政治家の責務と思っています。そして、それは「村が原点」とお話下さった赤城先生に教えていただいたことです。

青春って、なんだろう。私は「青春とはチャレンジする自分探しの時代」じゃないかしらと思います。あのとき政治家としての上川陽子の「青春」が始まった……、そんなふうに思える赤城先生との出会いでした。

国会議員になってからは、それにプラスして「伝える」ということを信条にしています。大学卒業後、勤めていた研究所を休職して留学したアメリカで学んだことです。どんなに素晴らしい考えでも、相手に理解されなければ何にもならない。伝えよう、そのために主張したり、説得したりすることを大事に考えていこうと思っています。 

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