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かみかわ陽子

私の意見

政治家の出処進退を考える

「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張、我に与からず我に関せずと存候」(勝海舟)

情熱だより2002年4月号巻頭

7月31日、第154回通常国会が終了した。当初、会期150日のところを42日間延長、田中真紀子外相の更迭問題で幕を開け、同氏の証人喚問で閉会するという因縁の国会であった。「政治とカネ」をめぐる問題は、秘書疑惑、口利き、ODA支援へと拡大し、抑制の効かない今の社会のあり様を象徴する一方、私にとっては、政治家の出処進退、つまり「行蔵」について考えさせられる国会でもあった。

私が委員として関わっている委員会は3つある。農林水産委員会、厚生労働委員会、それに議院運営委員会だ。今回、議院運営委員会が、鈴木宗男氏の逮捕許諾請求および議員辞職勧告決議案審議の舞台となった。審議の行方をマスコミは注目し、私自身取材を求められることとなった。そして当日の審議は極めて重苦しいものであった。

そもそも国会は、憲法第41条により国権の最高機関として位置付けられており、 国会議員は憲法第50条で、現行犯などを除き原則として会期中に逮捕されない、いわゆる「不逮捕特権」が保障されている。司法の手が国会に及ぶという、あってはならないことが今回起きた。政治家の逮捕許諾請求が審議されたのは、戦後半世紀の間に今回も含め14回あり逮捕者は9人、一方、議員辞職勧告決議案は31回を数える。

私は、政治家の出処進退は政治家本人が決めるというのが大原則であり、他人が云々しうる問題ではないと考える。それゆえに、政治家は日々の行動において法律さえ破らなければ何をしてもいいというのではなく、それ以上に自らを厳しく律すべき義務があるはずである。

今回退場を強いられた政治家たちが見せた出処進退劇には、失敗の教訓が多く含まれているように思う。つねに「行蔵は我に存す」との覚悟をもって政治に臨みたいものである。

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