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かみかわ陽子

論文・対談・投稿・マスコミ

 

  <月刊誌「 Foresight」2001年2月号>


            L A W M A K E R S ● 
           -- 政治家の仕事 --

           

    「永田町の論理」を越え 内からの改革を目指す

          衆議院議員 上川 陽子(静岡1区 当選1回 自民党)


 先の衆院選で、自公保選挙協力の公認候補を破り当選した保守系無所属議員から成る院内会派「21世紀クラブ」は、もともと加藤派・山崎派と近い議員が多く、「加藤政局」の際は両勢力と同調する予定だった。しかし、加藤氏の「腰砕け」により、大半が森内閣不信任案に反対票を投じた。「21世紀クラブ」のメンバーで、無所属ながら宏池会所属だったものの、最終的に反対に回った上川陽子議員はこう振り返る。
「加藤会長と共に行動しようと思っていただけに非常に残念です。物を動かすには時の運や人の和など総合的な力が必要ですが、途中で、これでは勝てないと思いました。問題提起自体には国民の関心もあったし、違うタイミングならば事態は動いたと思います」

 この時、加藤氏についていこうとした議員に対し、自民党中枢から地元の有力者に圧力をかけたり、ポストで揺さぶるなどの動きもあり、「『永田町の論理』を見せつけられた」という。
「KSD問題とか、たくさん表に出たらいいと思うんです。問題のある仕組みがあるのは事実だし、それを乗り越えることが新しい知恵を生み出すと思う。政界で当たり前だと思われてきたことに対して内側から疑問を呈し、改革すべき点を掘り下げていきたい」

 上川氏は1953年生まれ、東京大学教養学部卒。三菱総合研究所在勤中の86年、フルブライト留学生として渡米し、ハーバード大学院で政治行政学を専攻した。その間、上院議員事務所でのスタッフも経験し、アメリカ大統領選も身近で体験した。
「訪米する日本の政治家を見ていると、官僚機構で集約された意見を持ってくる感じでした。政治家が自らの言葉で語り、自分の判断で国益を主張し、意思決定できる力を持たないと国際社会では生き残れない。経済力が低下した時、日本はどうなるかわからないと危機感をもちました」

 三菱総研時代、役所の政策作りのための基本調査を行なっていたが、実際に法案の中でどう生かされているかわからないもどかしさがあったという上川氏は、帰国後、議員の政策作りを手伝うべく政策コンサルティング会社を立ち上げた。だが、日本では官僚が政策作りを担うことが多く、そうした仕事は回ってこなかったそうだ。

 その後、宮沢政権不信任案可決による自民党の五五年体制終焉の模様を目の当たりにして、「自民党から不信任案に賛成する議員が出るのは革命的だと思った。永田町から変わる動きを見て、自分も馳せ参じたくなった」という。直後の選挙の際は、候補者に張り付いて調査を行なった。その結果、「アメリカ大統領選のように、日本でも有権者にもっと選挙に関わってもらい、反応を引き上げていく選挙運動を行なえば、さまざまな意見が出る社会に変わる」と感じ、出馬を決意。96年の衆院選は無所属で出て落選したが、若手の改革の動きに共鳴して自民党に入党。昨年初当選をはたしたばかりだ。

 社会保障と財政問題を政策課題の二本柱に据える上川氏だが、当選前から地元静岡で長年ボランティアとして関わってきた環境循環型農業の推進にも力を入れていきたいという。
「生ごみを土や有機堆肥に変える循環サイクルを作るには、地域の消費者と生産者双方の参加、他分野との異業種交流が必要になる。その過程で共同体意識が生まれ、地域社会立て直しの具体的な成功例ができれば、中央と対等な関係が築けるようになり、地方分権にもつながると思うんです」

 日本にとって、21世紀の最初の十年は非常に大切だと上川氏はいう。
「年金も社会保障も不信感から制度が硬直化してきている。早急な抜本的改革が必要ですが、変える議論が先になり、問題は何なのかという現状認識が足りない。単なるつぎはぎの改革ではなく、撤廃も視野に入れた上で制度の原点に戻ったきめ細やかな議論を行なっていくべきだと思っています」

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